転校生 さよならあなた
おかしく切ない青春“逆転”ファンタジー
2007年 カラー スタンダードサイズ 120min 角川映画、日本映画ファンド、NTT DoCoMo
製作 黒井和男 プロデューサー 鍋島壽夫、大林恭子 監督、脚本、編集 大林宣彦
脚本 剣持亘、内藤忠司、石森史郎、南柱根 原作 山中恒 撮影 加藤雄大 照明 西表灯光
美術 竹内公一 音楽 山下康介、學草太郎 録音 内田誠
出演 蓮佛美沙子、森田直幸、清水美砂、厚木拓郎、寺島咲、石田ひかり、田口トモロヲ、斉藤健一
窪塚俊介、根岸季衣、古手川祐子、長門裕之、原舞歌、関戸優希、高木古都、高橋かおり、宍戸錠
勝野雅奈恵、小形雄二、林優枝、吉行由実、小林かおり、山田辰夫、入江若葉、小林桂樹、犬塚弘
思春期の男女が、心と身体の入れ替わりを通し、自分自身や周囲を改めて見つめ、成長していく過程を、爽やかに描く青春ファンタジー。「五十年後の長野の子供達に見せたい映画を作ってください」という依頼の一言からスタートした大林宣彦監督の名作『転校生』のセルフリメイクした本作。ちょうど『二十二才の別れ』の後に控えていた2作品が頓挫していた大林監督は、尾道ではなく信州・長野を舞台にした新しい(リイマジネーションの)『転校生』の製作に着手した。原作は、過去の同名作品と同様に山中恒作「おれがあいつで あいつがおれで」であるが、本作は生と死に焦点を当てた全く新しい『転校生』となっている。主人公・一美に三万人以上のオーディションを勝ち抜いた角川映画所縁の新人・蓮佛美沙子が扮し、前作の主人公が夏の海を彷彿とさせるイメージだったのに対し、蓮佛は山の里の秋というイメージで、全く新しいヒロインが誕生した。もう一人の主人公・一夫に『酒井家のしあわせ』で主演を務めていた森田直幸の演技を観た大林監督が「一夫がいた!」と、即決したという。30日という短期間で撮りあげるために、大林映画常連の少数精鋭のスタッフが集結し、撮影監督の加藤雄大カメラマンが大林監督と共に綿密な撮影プランを組み上げて、ロケーション撮影とは思えない幻想的な映像が実現した。
中学生の斉藤一夫(森田直幸)は、両親の離婚を機に、母と共に信州に転校してくる。尾道に恋人を残してきた一夫は、新しい生活に前向きになれないままだ。転入先の中学校では、幼なじみの一美(蓮佛美沙子)との再会が待っていた。幼い日の結婚の約束を、恥ずかしげもなく語りかける一美に、戸惑い、素直に受け入れられない一夫。しかし、そんな一美にも、今は弘という恋人がいる。弘の気障な態度もまた、一夫には面白くないのだ。ある日、一美は、自宅に一夫を招待する。一美の家は、蕎麦屋を営む大家族だ。一夫が母と暮らしていることと比べても、二人は全く違った環境で生きてきたのである。それでも、二人は、幼かった頃に返るかのように、少しずつ、打ち解けていき、思い出の場所である“さびしらの水場”へとやってくる。その水を掬おうとしてバランスを崩した二人は、誤って水の中へ落ちてしまう。慌てて這い上がり、一息ついた時には、既に、二人の心と身体は入れ替わっていた。二人はいったんは、一美の心を持った一夫が一美の家へ、一夫の心を持った一美が一夫の家へと帰っていく。しかし、事情がわからない家族達は混乱するばかりだ。結局二人は、それぞれの身体にあわせた生活をしていこうと決心する。戸惑いながらも、お互いに協力し合い助け合っていく一美と一夫。そんな中で、二人には、特別な感情が生まれ始める。しかし、一美の身体には、ある異変が起こっていた。
大林宣彦監督が日本の映画史に残る金字塔を打ち立てた、あの名作『転校生』をセルフリメイクすると聞いた時「どうしてまた余計な事を…」と正直、思った。いくら尾道から長野に舞台を移したところでオリジナルを超えられるわけがないと、映画館の前で入るのをためらった事をよく覚えている。ところが…だ。映画が始まって間もなくその疑心暗鬼は吹っ飛んでしまった。長野へ向かう列車の中で森田直幸扮する主人公の斉藤一夫と清水美沙扮する母親の矢継ぎ早に交わされるセリフの応酬と細かなカット割りに、大林監督がリメイクするとこうなるのか…と小気味よいリズム感にまずは脱帽。ここ最近の大林映画の特長であるが、リズミカルなカット割を続けた後、スローテンポのシーンを放り込んできたりする。観客はそうしたリズムの変化によって揺さぶられ、いつしか主人公たちの混乱に同調してしまうのだ。
こうしたテンポで現代的な『転校生』が創造されたと思いきや、本作は単なるリメイクではなかった。前半はオリジナルと同じ主人公の男女が入れ替わって大騒ぎする様子を描いているのだが、誰もが予想もしなかった展開となる後半のテーマはあまりにも壮大で衝撃的だ。オリジナルでは男女の“性”が入れ替わる事による可笑しさや滑稽な行動からお互いを思いやる気持ちが芽生えるまでを描いていた。勿論、本作も骨子のテーマは同じなのだが…何と大林監督は男女の“性”に加えて“生と死”まで入れ替えてしまったのだ。不治の病で余命幾ばくもないと診断された一美。勿論、彼女の死は入れ替わった一夫の精神の死を意味する。それでは、精神だけ生き残った一美は一夫の肉体のままで生きて行けるのか?そのパラドックスから発生する葛藤が、本作の大きなテーマだったのだ。前作で一美を演じたボーイッシュな小林聡美に対して本作ではロングヘアが印象的な清楚な佇まいを有する連佛美沙子(まるで菩薩のような端正な顔立ちの彼女の表情が後半活きてくる)が死を受け入れながら気丈に一美(の精神)の身代わりとなる姿を見せてくれる。その姿に愛する女の子を守ろうとする一夫がダブってしまい何度も目頭が熱くなる。ピアノを弾けないはずの一美が一夫の精神が入る事によって指が自然と鍵盤を叩く…。大林監督は更に一歩踏み込んで彼女に歌を歌わせる。しかし、歌詞の内容は一夫のものではなく作り話が大好きな一美の肉体から発せられるものだった。凄い!精神と肉体が融合するという究極の“とりかえばやものがたり”が大林監督の手によって作り出されたのだ。現代劇でありながら前作より古典的な雰囲気を持っているのは“死”という概念に対して真っ向から向き合っているからだろう。また、二人が入れ替わるシーンでも神社の階段を転げ落ちるうちに入れ替わった前作に対し、本作は山奥に湧き出る泉に落ちて入れ替わる設定となっている。それはまるで泉を母体として、羊水の中で新しい生命が誕生(二人が泉から這い上がってくる姿は母親の膣から自ら生まれ出てきた子供のようではないか)したようにも思えるのは誇大解釈しすぎだろうか。
「人が死ぬ理由は誰にも分からない…運命のようなものだ。だけど生きる理由は自分で決める。それが愛するって事じゃないか?」一美のお兄さんが余命わずかな彼女に言うセリフだ。
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