HOUSE ハウス
黄色の塀の中で年老いたハウスは若い娘たちを待っていた…
1977年 カラー スタンダードサイズ 88min 東宝
製作 山田順彦 監督、製作 大林宣彦 脚本 桂千穂 撮影 阪本善尚 ビクトリアルデザイン 島村達雄
照明 小島真二 音楽 小林亜星、ミッキー吉野 主題曲 ゴダイゴ 録音 伴利也 編集 小川信夫
出演 池上季実子、大場久美子、松原愛、神保美喜、佐藤美恵子、宮子昌代、田中エリ子、尾崎紀世彦
笹沢左保、小林亜星、石上三登志、鰐淵晴子、南田洋子
夏休みに友人の叔母の家に遊びに行った女子中学生たちが怨霊と化した屋敷に次々と食べられてしまうファンタジーホラー映画の傑作。まだスタジオシステムが残っていた時代に「僕の映画を観た人が夢を取り戻し、ハッピーになってくれれば満足なんだ」と、異業種であるCM界で活躍していた大林宣彦監督が39歳にして初めて東宝でメガホンを取った記念すべきメジャーデビュー作である。愛娘が発したアイデアからヒントを得たストーリーを桂千穂と協同で執筆したプロットが東宝の企画会議に掛けられ、採用された後にラジオドラマ化され大きな反響(深夜の放送であるにも関わらず高聴取率を獲得)を呼ぶ。全編にオプチカル処理を施した幻想的な映像と“ハウスガール”と称された7人の女の子たちが話題となった。中でも主人公のオシャレを演じた池上季実子と本作がデビュー作となるファンタを演じた大場久美子は当たり役となり、一躍トップクラスのアイドルとなった。撮影は本作以降、大林作品を長く手掛ける事となる阪本善尚が担当。また、CM時代より親交が厚かった小林亜星が音楽を監修し、主題歌を当時売り出し中のゴダイゴが担当。サウンドトラック盤は大ヒットを記録した。公開時は山口百恵主演の『泥だらけの純情』の併映作品だったが、口コミによる評価が広がり、僅か二週目から逆転してしまったという逸話が残されている。
中学生のオシャレ(池上季実子)は、今日も仲間のファンタ(大場久美子)、ガリ(松原愛)、クンフー(神保美喜)たち7人の仲間と間近になった夏休みのことをワイワイ話している現代っ子。オシャレが学校から帰ると、イタリアから父が帰国していた。父は彼女に、自分の再婚の相手だと言って涼子(鰐淵晴子)を紹介する。新しい母など考えてもいないオシャレにとっては、これはショックだった。自分の部屋にもどって、ふと思い出したオバチャマ(南田洋子)のところに手紙を出し、夏休みに仲間と行くことにする。いよいよ夏休み。オシャレは仲間とオバチャマの羽臼邸へ向かって出発。東郷先生もいっしょに行くはずだったが、あとから来ることになり、七人で出かけた。オバチャマは、七人を歓げいしてくれ、都会育ちの七人は田舎の雰囲気に大喜び。しかし、それもつかの間で、このオバチャマというのが実は戦争で死んだ恋人のことを思いつつ、数年前に死亡しており、今は、その生霊で、羽臼邸そのものがオバチャマの身体であったのだ。そして、奇怪なできごとが七人の少女たちを襲った。まず最初に冷やしておいた西瓜を取りに入ったマックが井戸の中につかっており、このほかにも、ピアノや、ふろ桶や、時計や、電燈などに次々に少女たちが襲われる事件がおき、そのたびに一人一人この家からきえていったのであった。オバチャマは、若い娘を食べた時だけ若がえり、自分が着るはずだった花嫁衣裳が着られるのであった。最後は、オシャレになりすまし、後から来た涼子までも恐ってしまうのであった。
CMの神様として数多くの名作を作り上げ、CMを単なる商品宣伝ツールからひとつの作品として価値を高めた大林宣彦が念願の長編映画監督としてデビューを果たした記念すべき作品が『HOUSE ハウス』だ。百恵・友和映画の併映作品として公開された本作だが、当時の注目は圧倒的に本作の方に集中していた。7人の美少女が夏休みに泊まった田舎の屋敷で次々と“家”の餌食となってしまう…というストーリーもさることながら、映像作家としての大林監督がどのような映像を見せてくれるのか?に期待が集まった。普通に描けば、当時流行りのオカルト映画となるところを様々なオプチカル処理とカラフルな色彩処理を行う事で、今まで観たこともないファンタジックな世界を作り上げていた。(本格的なオカルト映画を期待していた人には肩透かしだったかも知れないが…)例えば、空も単なる実写の空を使うのではなく、アニメーションのような空を作ってしまうというポップアートの極み。そういえばCMの中で、こうした遊び心溢れる映像を見たことがあった。主人公たちが東京駅から列車に乗る場面ですらポップなイラストと合成してしまっている。そうなのだ!大林監督は自身がCM制作の現場で培ったノウハウとイマジネーションを映画の世界に持ってきたのだ。今でこそ珍しくないCMやPVクリエーターといった異業種からの参入で、映画の常識を打ち破ってしまったのだ。(大林監督は新しい映像形態の先駆者的な役割を担う事がこの当時から多かったようだ)
だからといって斬新な映像テクニックだけに偏っているだけではない。7人の美少女たちが次々と屋敷の餌食となっていくストーリーも今までありそうで無かったユニークなものだった。屋敷にある家具に襲われる過程が少女たちの特徴に合っているのが面白く、音楽好きな女の子がピアノを弾いていると突然、鍵盤に噛みつかれてしまう下りは大林監督の遊び心に溢れていた。挙げ句には、食いちぎられた指だけがピアノの弾いてしまうのだから何とシニカルなジョークだろう。カンフーの達人である神保美樹に襲いかかる薪を見事なキックで叩き落とした後で舞い上がったスカートをキャッチして見得を切るシーンのカッコ良さといい、デビューしたての大場久美子(信じられない可愛さだった!)が庭の井戸からスイカを引き上げると食いしん坊の女の子の首だった…等々、まるでお化け屋敷のアトラクションみたいな映画なのだ。しかも、彼女たちの殺され方が美しく本作で初めて“ファンタスティック”という表現を知った。中でも印象に残るのは、血のプールと化した屋敷でただ一人、大場久美子が畳の上で漂う姿を俯瞰から捉えるシーンの美しさだ。ホラーは怖がらせてナンボというそれまでの常識(そう言えば『サスペリア』が公開されたのは前年でしたっけ…)を覆すメルヘンタッチでコミカルな作り方は、以降のティム・バートンやサム・ライミといった新しいタイプのホラーへと継承されているではないか。本作は、映画監督・大林宣彦の第一歩としては、あまりにもセンセーショナルなデビュー作となった。
「もうそろそろ起きてきますわ…みんなお金が空いた頃ですもの。起きてまいりますのよ…お腹が空きますとね」ラストで池上季実子が屋敷にやって来た父の再婚相手に言うセリフ。少女たちは食べられた後、家に吸収されてしまったという意味にも取れる。
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