「御当家の親分さんお姉えさん、陰ながらお許し被ります。きょうこ初の御いえます。したがいまして節ことは、肥後熊本にござんす。熊本は五木の生まれ、姓名の儀は矢野竜子。通り名を緋牡丹のお竜と発します。御私見の通り、しがなき者にござんす。往く末お見知り置かれまして宜しくお引き立ての程お願いいたします」冒頭、東映マークの後にカメラに向かって仁義を切る藤純子がワンカットで映し出される。女侠客を描き大ヒットシリーズとなった『緋牡丹博徒』の記念すべきファーストシーンである。演じる藤純子は言わずと知れた東映任侠映画の名作を世に送り続けたプロデューサー、俊藤浩滋の実の娘である。父を辻斬りで殺され一家を解散せざるを得なかった一人娘が一家再建と父の仇を求めて小太刀を片手に賭場から賭場へと渡り歩く女渡世人は、東映の歴史に残る空前の大ヒットとなり、それまで任侠映画における女性は男の陰に隠れる脇役だったのを主役の地位にまで押し上げる功績を残したのだった。それまでも藤純子が演じる女性たちは主人公の男のために身を投げ出す女郎だったり男勝りの芸者だったりと、他の女優とは違う力強さを内に秘めた女性が多かった。それが緋牡丹お竜につながったのかは定かではないが、キリッとしまった目元がどの作品にも感じられるのだから、藤純子を主役に任侠映画を作ろうと思い立った岡田茂(当時の東映京都撮影所長)は先見の明があったわけだ。確かに『人生劇場 飛車角と吉良常』で演じた娼婦おとよといい、『日本侠客伝 雷門の斗い』の侠客の娘千沙子といい、か弱そうな中にも一本芯が通った根性を持っているのだ。これは演出ではどうにも出来ない。親譲りとでも言おうか、元々任侠映画にあっていたのかも知れない。そんな彼女の一世一代の演技を披露したのはマキノ雅弘監督『侠骨一代』で演じた高倉健の母親と女郎の二役だろう。冷めた目で世の中に失望して生きていた女郎のお藤は、初めて愛する男のために身を売って満州へと旅立つのである。船上から牛乳を飲みながら真っ直ぐに立つ彼女の姿は観音様にも見える程、凛々しく神々しかった。…そして、『緋牡丹博徒』の登場だ。当時、藤純子は肌を見せる事を頑に拒んでいた。「女が肌を見せるというのは、仕事とは言え大変なこと。女優にとって裸になるのは最後の切り札…意味も無く裸になるのはいやだ」と、言い続け水着撮影を一度もしたことがなかったという。だからこそ、刺青をして片肌を見せる事は一世一代の結論だったと思われる。それが無ければ、『緋牡丹博徒 一宿一飯』の中で映画史に残る名場面は生まれなかったであろう。
 高校を卒業した藤純子がテレビのカバーガールをやっていたところ松竹のプロデューサーの目に留まり、その面接の後に父親と一緒に立ち寄った太秦の東映撮影所でバッタリ合ったマキノ雅弘監督に「娘を女優にしたいなら、ここで女優にしたらいい」と、その場で撮影中の映画に出演する事が決定した。その映画が『八州遊客伝 男の杯』という国定忠治ものだった。女優を育て上げる事に定評のあったマキノ監督が太鼓判を押しただけあって、その後メキメキと頭角を現して行くのである。それを決定付けたのは笠原和夫の脚本による大西英明監督作品『めくら狼』であった。その映画出演をきっかけに東映社内でも話題となった彼女は本格的な任侠映画『博徒』と『日本侠客伝』という二大看板の映画に出演する事になり、『日本大侠客』で演じた、惚れた男のために身を捨てる鉄火の馬賊芸者、お竜が後の『緋牡丹博徒』につながっていく。思い返せば、主役ではなかったにせよ藤純子が出演した任侠映画は必ずと言っても良い程、当たっており名作と誉れが高く評価されている。加藤泰監督の『明治侠客伝 三代目襲名』や山下耕作監督の『博奕打ち 総長博徒』といった名作が次々と彼女のキャリアに並んでいった。観客は、既に藤純子が主演の任侠映画を知らず知らずの内に望んでおり、満を持して登場したお竜さんというヒロインは当然のように万人に受け入れられたのである。『緋牡丹博徒』シリーズに加えて『女渡世人』『日本女侠伝』といった新シリーズまで生まれ、正に当時の藤純子は休む暇さえ無い超売れっ子となった。『日本女侠伝 鉄火芸者』は、ある意味彼女が演じて来た数々の役の集大成とも言える女侠客であった気がする。
 女優復帰後の第一弾は引退作で共演した高倉健と再度顔合わせといううれしい配役の『あ・うん』に始まり、『解夏』では失明になる難病を抱えた息子を見守る母親を好演。平成18年の『フラガール』では頑な炭坑の街で生きて来た母親を演じ、娘がフラダンスをすることに抵抗し喧嘩をするも、最後には娘の窮地を救うために街の人々を説得する。このシーンで力説する藤純子改め富士純子を観ていると、お竜さんの啖呵を切る姿とダブってしまった観客は多かったのではないだろうか。その後も寺島しのぶが娘時代を演じた、本当の意味での親子競演をした『待合室』では一転して北国の駅を見守る雑貨屋のおかみさんをほのぼのと演じ、齢をとってもなお幅広い演技を披露してくれる。


藤純子改め富司 純子(ふじ すみこ)、本名:寺島純子(てらしま じゅんこ、旧姓・俊藤)
1945年12月1日生まれ
 東映のプロデューサーで、「任侠映画の首領(ドン)」と呼ばれた俊藤浩滋を父に、和歌山県御坊市に生まれる。京都女子高等学校在学中、たまたま父の勤務先である東映京都撮影所に見学に行ったところをマキノ雅弘にスカウトされ、父の反対を押し切って「藤純子」(ふじ じゅんこ)の芸名でデビュー。朝日放送テレビのコメディー「スチャラカ社員」の若い女給役で注目を浴びる。その後東映に入社。昭和40年代の同社の看板路線であった任侠映画で主演映画シリーズを複数持ち、特に「緋牡丹博徒」の主人公・「緋牡丹のお竜」こと矢野竜子役で人気を集めた。
 当時の藤は、昭和20年代生まれの邦画界の俳優の中でも観客動員力No.1であり。東映が生んだ「客の呼べる唯一の大女優」といえる。「緋牡丹博徒」については、当初は肌を見せることに抵抗があり、出演を拒んでいたが、父・俊藤に説得されて渋々応諾したという経緯がある。しかし「緋牡丹博徒」の人気を直に感じて「父の凄さを初めて理解した」と回想している。1972年、NHKの大河ドラマ「源義経」で共演した歌舞伎俳優の尾上菊五郎と結婚し引退を表明。引退映画となった「関東緋桜一家」には時の東映オールスターが結集し、前代未聞の引退劇であった。
 1974年、寺島純子の本名でフジテレビのワイドショー「3時のあなた」の司会に就任し、「司会者」として芸能界に復帰。1977年より3年間、出産・育児のため番組を一時降板したが、1980年より復帰、歴代司会者では森光子に次いで2番目の長寿司会在任期間(10年11ヶ月)となった。1989年、映画「あ・うん」で女優活動を再開。「白紙の新人女優としてスタートしたい」との意思から芸名を富司純子(ふじ すみこ)に改めた。2000年には「おもちゃ」で演じた女将役が好評を得て第24回報知映画賞助演女優賞を獲得。最近作として2005年、映画「待合室」に酒店の店主「和代」役で主演、さらに娘の寺島しのぶとの親子競演を果たすなど活躍を見せている。
長女は女優の寺島しのぶ、長男は歌舞伎俳優・尾上菊之助。

【主な出演作】

昭和38年(1963)
八州遊侠伝男の盃
次郎長三国志
十三人の刺客  

昭和39年(1964)
隠密剣士
博徒
日本侠客伝
幕末残酷物語

昭和40年(1965)
関東流れ者
日本侠客伝
 関東篇

昭和42年(1967)
あゝ同期の桜
大奥(秘)物語
侠骨一代

昭和43年(1968)
尼寺(秘)物語
緋牡丹博徒
・一宿一飯
人生劇場
 飛車角と吉良常

博徒列伝

昭和44年(1969)
緋牡丹博徒
・花札勝負
・二代目襲名
・鉄火場列伝
日本侠客伝
・花と龍
日本女侠伝
・侠客芸者 

昭和45年(1970)
日本女侠伝
・真赤な度胸花
・鉄火芸者
緋牡丹博徒
 お竜参上
日本侠客伝
・昇り龍

昭和46年(1971)
女渡世人
日本女侠伝
・血斗乱れ花
・激斗ひめゆり岬
緋牡丹博徒
・お命戴きます
・仁義通します
女渡世人
 おたの申します
関東緋桜一家

平成1年(1989)
あ・うん

平成10年(1998)
解夏

平成17年(2005)
待合室

平成18年(2006)
フラガール

平成19年(2007)
犬神家の一族
愛の流刑地




Produced by funano mameo , Illusted by yamaguchi ai
copylight:(c)2006nihoneiga-gekijou