関東緋桜一家
満開の花は桜か血桜か!ここは深川。意地と我慢の任侠の地にドスの刃揃えたオールスター!
1972年 カラー シネマスコープ 102min 東映京都
製作 岡田茂 企画 俊藤浩滋、日下部五朗、武久芳三 監督 マキノ雅弘 助監督 清水彰
脚本 笠原和夫 撮影 わし尾元也 音楽 木下忠司 美術 富田治郎 録音 渡部芳丈 照明 増田悦章
編集 宮本信太郎
出演 藤純子、鶴田浩二、高倉健、若山富三郎、菅原文太、待田京介、伊吹吾郎、山城新伍、
木暮実千代、工藤明子、南田洋子、長門裕之、水島道太郎、嵐寛寿郎、石山健二郎、金子信雄、
笠置シヅ子、八名信夫、藤山寛美、片岡千恵蔵

藤純子の引退への花道を飾る任侠オールスター大作として、藤純子のデビュー作を監督したマキノ雅弘がメガホンを取る。昭和43年に任侠映画で女性が主役であるにも関わらず大ヒットを記録し『緋牡丹博徒』以外にも『日本女侠客』、『女渡世人』など2つの新シリーズの主役を張っていた藤純子が突然の引退表明。以前、NHKの“源義経”で共演した歌舞伎役者の尾上菊之助と結婚することとなり家庭に入るという藤純子の決意の表れであったが、全マスコミが一斉に書き立てる程の大事件となった。池袋のデパートでは引退にちなんで“藤純子展”まで催された。『緋牡丹博徒 仁義通します』が最後の作品になる予定だったが当時の東映社長岡田茂から引退記念作品を作る事を強く要望され、急遽実現したのが本作だ。脚本は数多くの任侠映画を書いて来た笠原和夫が担当、撮影も任侠映画の大御所わし尾元也がそれぞれ担当した。また、クライマックスの立ち廻りは小沢茂一監督が担当する等、最高のスタッフで本作は完成したのだ。

明治末頃、柳橋町内頭で鳶「に組」の副組頭河岸政(水島道太郎)の娘であり芸者をしている鶴次(藤純子)は美貌と男まさりの侠気を併せ持つ、町内では顔の知れた女性であった。鶴次には「に組」の組頭吉五郎(片岡千恵蔵)の一人息子で信三(高倉健)という結婚の誓いを立てた男がいたが、かつて彼女にからんだヤクザ数人と乱斗の末、殺傷事件を起こし旅に出てしまった。その頃、日本橋では刑事くずれの博徒鬼鉄が賭場を開き旦那衆から金や財産を捲き上げ、いざこざが起こっていた。柳橋を縄張りとする新堀一家の親分辰之助(嵐寛寿郎)と兄弟分の河岸政の間で、柳橋では賭場は開かないという約束がかわされていたが、辰之肋が床に伏せているのをよいことに、新堀一家の代貸常吉(名和宏)と鬼鉄は一挙に勢力拡大を狙い、河岸政を暗殺してしまう。父を殺された鶴次は小頭由次郎( 菅原文太)の力添えによって、「に組」の跡目を継ぐ決意を固める。ある夜、鶴次を鬼鉄の手の者が襲いかかってきたが、間一髪のところを救ったのが、河岸政の悲報を聞いて戻って来た信三だった。鶴次暗殺に失敗した鬼鉄は、割烹旅館金柳館に火を放ち、金柳館の権利証も奪われてしまう。鶴次は、権利証を賭けた勝負を挑むが新堀一家に草鞋を脱いだ客人旅清(鶴田浩二)が、その挑戦を受けた。鶴次の心意気を察した旅清は勝を譲るのだった。遂に鬼鉄と新堀一家が「に組」を潰すために殴り込み支度をしているところに旅清が立ち塞がり常吉の白刃を腹に受けながら叩き斬る。鬼鉄の賭場に向う鶴次と信三、そして最後の力を振り絞って助っ人となった旅清。大乱闘の末鬼鉄達を倒すものの、旅清は力尽きて鶴次と信三に見とられ息を引き取った。

藤純子の引退と共に東映任侠映画の終焉を迎えたと言われているが正にその通りである。“人生劇場飛車角”から始まった東映任侠映画の10年。前半は鶴田浩二を東映に招き、中盤は高倉健という東映のスターを生み出し、そして後半は、それまで任侠映画にとって添え物としか扱われていなかった女性を主役に置いて空前の大ヒットを記録。東映という看板を背負って活躍した藤純子の“緋牡丹博徒”シリーズが絶頂期の頃…7本目で突然の引退を宣言。この一大事に各メディアは大騒ぎ、正直言って山口百恵の引退よりもキャンディーズの引退よりも(古いか…)ずっと衝撃的な出来事だったのだ。父親でもあり東映を支えてきた名プロデューサー俊藤滋浩は、岡田茂社長より「せめて最期に、もう一本引退映画を作るように説得してくれ」と頼まれて製作されたのが本作。監督も彼女に映画界入りを薦め、芸名の名付け親―マキノ雅弘を迎え、かつてないオールスターキャストで映画界初の引退記念映画というものを完成させてしまった。「女の立ち廻りは嫌だ」と言い続け、“緋牡丹博徒”の演出を断っていたマキノ監督が、どのような作品に仕上げるのか?それが一番の楽しみだった。しかし、主役の藤純子を美しくカッコ良く見せまくっているのだが、画が豪華であればあるほど寂しさが増して来る。これが任侠映画の最期の輝きであるかのごとく、全編これ見せ場だけに切なくなってしまうのだ。
「もっと純子ちゃんの見せ場を多くしたかった」と監督に言わしめる通り、本作は均等に出演者たちに花も持たせなくてはならず、それを2時間にも満たない上映時間の中で、配するのだから散漫になってしまうのは無理もない。ところが、う〜ん…これがマキノ雅弘監督の凄いところなんだよなぁ。冒頭では長戸裕之演じる人力車がヤクザに絡まれ「あっしじゃ、役不足だから姐さんお願いします」とか言って、人力車の中から艶姿の藤純子が登場する。これって舞台の演出じゃないか!思わず拍手喝采と口笛が劇場内にこだまする。その後は、いつもの正義と悪の対立で、良い人たちが次々と敵の刃に倒れていく。その中でも一番の儲け役は鶴田浩二演じる渡世人だろう。悪い方の一家の客分だったのだが、殴り込みをかけに行く一家の前に立ちはだかり止めるのだが、あえて自分の腹を刺させる。すると表情をガラリと変えて「これでお前の義理は果たした!」と代貸を刺すのだ。これこそ、義理と人情を量りに掛けた男の生き様というやつで、更にその体で単身、黒幕の元に殴り込みに行くのだ。今までの任侠映画のエキスが凝縮されており、藤純子が小太刀を持って助けに現れるシーンは興奮も最高潮―実は立ち回りは、小沢茂弘監督に助っ人でお任せしていたと知って、微笑ましく思ったものだ。
スターシステムの良さを最大限に引き出していた東映任侠映画。出演するスターの顔ぶれを観ているだけで、当時の東映パワーを充分に感じる事が出来る。ラストシーン…カメラに向かって(つまり観客に向かって)「皆さん、お世話になりました」と藤純子に言わせるあたりがマキノ監督の粋なところであり、今から思えば東映任侠映画そのものが終焉に向けて挨拶をしているようにも感じる(事実、マキノ雅弘監督も本作を最後に映画界からテレビに移ってしまった)。そして、任侠映画は実録ヤクザものへと変貌していくのだ。
「代貸っ!これでおまはんへの義理は済んだ。あんさんがいては先代の遺言が守れませんのや。もう、これまでやなお前も」相手に渡世の義理があるからこそ、自ら手を出す事が出来ない鶴田浩二演じる旅清は無防備に腹を刺さしておいてから相手を刺す。ここに任侠映画における男の美学が結集している。
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