映画監督に限らず、作家にはある時期においてターニングポイントとなる作品がある。森田芳光監督の場合、4年間のブランクの後に発表した3作品『(ハル)』、『失楽園』、『39 刑法第三十九条』が正に森田監督におけるエポックメイキングと言っても良いと思う。その3作品の撮影監督を手掛けたのが、『(本)噂のストリッパー』から関わり続けていた高瀬比呂志である。特に映像―カメラアングルやカメラワークにこだわり、現場の状況に合わせて予定を変更してしまう森田監督にとって、撮影がいかに重要か…は、簡単に想像出来るであろう。毎回、全く違ったトーンに挑む森田監督には北野武監督のような“北野ブルー”という言葉は意味を成さない。観客に「えっ?この映画は前に観た監督と同じ人なの?」と、言わせてしまう程、映像のイメージは作品毎に異なっているのだ。その監督の要望に、がっちりと着いていく立役者が高瀬比呂志その人なのである。
 森田作品において初めての撮影監督を務めた『(ハル)』では、森田監督より、映画のイメージとしてアメリカの画家エドワード・ホッパーの絵を渡されたという。ニューヨークの街角や日常の風景を切り取った具象絵画の一枚、窓の外からバーの客を見ている絵(多分、ナイトホークスかと思われる)…その客観的な視線を映像として表現する事を求められ、人物の置き方やサイズについて徹底的にこだわった。確かに、パソコン通信を行う主な時間は夜間…人々が夜の街で行き交う風景にパソコンの文字が重なるイメージはホッパーの絵を彷彿とさせる。本作では、カメラはパンをせずにフィックスで固定しており、主人公二人が初めて互いの姿を確認し合う新幹線のシーン以外は、あえて動きの少ない映像になっていたのが面白い。パソコン通信をしている人間を描く間は、文字で感情を表現する以外で、余計な演出は排除したかのようだ。そのおかげで、新幹線の外と中で、ほしとハルが初対面するシーンの緊張感は、下手なサスペンスよりも迫力のある映像となっていた。
 続く『失楽園』では純愛路線の『(ハル)』とは一転した性愛に溺れる男女を描く…というハードな絡みが多い映画。それをクールな映像によって女性でも観られるようなお洒落な作品に仕上げているのが大きなポイント。日活ロマンポルノを手掛けて来た高瀬カメラマンだが、ストレートな映像にはせずに、様々な映像が挿入されてひとつの場面が構成されるという手法を採っている。主人公が湘南のホテルで抱き合う際、ベッドにたどり着くまでに5〜6カットの映像が組合わさっていく。窓の外から望遠で覗いているかのような映像から、モノクロの映像…かと思えばいきなり二人の顔の間近にまで接近するクローズアップと、まるで何人もの人間が見ているような映像なのだ。この素晴らしいラブシーンが実現出来たのは、撮影のコンセプトとして「撮りたいものを撮ろう」という事があったから。カメラを機動性のあるスーパー16ミリと35ミリを併用し、固定カメラでは表現する事が出来ない手持ちの自由なイメージと16ミリからブローアップした時の粒子の粗さが芸術性を高めるのに成功している。
 『39 刑法第三十九条』においては、高瀬カメラマンの最高傑作と言っても過言ではないだろう、素晴らしい色調とカメラアングルで、社会派ミステリーの名作を作り上げている。この映画の映像テーマはズバリ“銀残し”だ。当時大ヒットした「セブン」や「スリーピーホロウ」のような渋みと深みのある色合い…観る者に不安感を与える色調は、まさにサイコサスペンスにはうってつけの映像手法なのだ。高瀬カメラマンは撮影が始まる前に念入りなテストを繰り返し、硬質のフィルムで100%銀を残すといった難易度の高い方式を採用した。森田監督も高瀬カメラマンの提案に、乗り気になり、照明や美術部と徹底的にミーティングを繰り返し、その結果、全体的に重く沈んだ雰囲気を出しつつもクリアな映像を作り上げる事に成功した。
 そして、『39 刑法第三十九条』以来、久々の森田監督とコンビを組んだ『間宮兄弟』では、瑞々しい下町の初夏を見事に表現。映画全体に漂う清涼感は、正に高瀬カメラマンの手腕に依るところが多かったであろう。『失楽園』や『39 刑法第三十九条』で見せた、凝ったカメラワークは本作では使用せず、ただひたすら固定したカメラが対象となる人物や景観を捉えているだけなのだが、構図、角度、光の加減…そのどれを取ってみても非常に完成度の高い画を作り上げている。特に、主人公二人の生活圏である“立石商店街”のカットは実在する商店街を使ったオールロケにも関わらず、その場所から湧き出ている空気感というものを見事にカメラの中に収めていた。


高瀬比呂志(たかせ ひろし)
1955年10月13日〜2006年9月7日
 日活撮影部に入社後、撮影助手としてスタート。日活ロマンポルノ『(本)噂のストリッパー』で色彩設計として初めて森田芳光と顔を合わせる。当時、映画会社の撮影所システムに慣れていなかった森田監督の斬新な映画の作り方に共感を覚え、その後、初期の森田監督作品の撮影監督、前田米造の助手を務める。『ときめきに死す』『それから』『悲しい色やねん』等で森田監督作品に従事。『ハッピーエンドの物語』で撮影監督としてデビューし、しばらくは日活撮影所にて数々の日活ロマンポルノやオリジナルビデオ作品を手掛ける。『(ハル)』より、森田監督作品の撮影監督となり、『失楽園』にて日本アカデミー賞最優秀撮影賞を受賞する。最近は“EXILE”のプロモーションビデオやマックスファクターのCMなど映画以外にも活躍の場を広げている。今後の活躍が大いに期待されていたが2006年9月7日、脳こうそくのため東京都三鷹市の病院で急逝。50歳という若さながら早すぎる死に、多くの映画人に衝撃を与えた。

主な代表作

平成3年(1991)
ハッピーエンドの物語  
遊びの時間は終らない

平成5年(1993)
卒業旅行
 ニホンから来ました

平成6年(1994)
とられてたまるか!?

平成8年(1996)
ハル

平成9年(1997)
失楽園

平成10年(1998)
キリコの風景

平成11年(1999)
39 刑法第三十九条

平成12年(2000)
アカシアの町
アナザヘヴン
押切

平成13年(2001)
プラトニック・セックス

平成14年(2002)
木曜組曲
コールドスリープ

平成15年(2003)
昭和歌謡大全集

平成16年(2004)
NIN NIN
 忍者ハットリくん
笑の大学

平成17年(2005)
星になった少年

平成18年(2006)
間宮兄弟




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