(ハル)
まだ見ぬあなたに、恋してる。
1996年 カラー ビスタサイズ 118min 光和インターナショナル
製作、企画 鈴木光 監督、脚本 森田芳光 プロデューサー 青木勝彦、三沢和子 撮影 高瀬比呂志
音楽 野力奏一、佐橋俊彦 美術 小澤秀高 録音 橋本文雄、柴山申広 照明 小野晃 編集 田中慎二
出演 深津絵里、内野聖陽、戸田菜穂、宮沢和史、竹下宏太郎、鶴久政治、山崎直子、平泉成
潮哲也、八木昌子
前作「未来の想い出」から4年ものブランクを経て、森田芳光自ら書き上げたオリジナル脚本を映画化。早い時期からパソコンをやっていた森田監督がパソコン通信に注目。パソコン通信を通じて知り合った男女が、メールのやり取りをするうちに愛を育んでいく模様を描いた、新感覚の恋愛ドラマ。まだ一般的ではなかったメールやチャットの世界を取り上げた本作は、全体の半分近くが文字という斬新な作りになっている。それだけにスタッフにとっても、果たしてどのような映画が出来上がるのか想像がつかなかったという。特にスタッフは映画の要となる文字の表示方法に一番こだわり、文字を心地よく読み易くすることを心がけた。本作より以前、助手であったスタッフが第一線で活躍するようになり、撮影は「39 刑法第三十九条」で見事な銀残し映像を作り上げた高瀬比呂志が担当。本作では主人公二人が初めて出会う新幹線のシーンにおいて、走る新幹線の中に乗っているハルをカメラで捉える難易度の高い撮影を見事にこなしていた。CM等で人気が出始めていた頃の深津絵里と、本作が映画デビューとなる内野聖陽がラストシーンまで顔を合わす事の無い主人公を共に抑えた演技で好演している。
(ハル)というハンドル名でパソコン通信を始めたばかりの速見昇(内野聖陽)は、映画フォーラムで知り合った(ほし)と、メールのやり取りをするようになった。ふたりは、お互いの顔も名前も知らない気安さから、悩みごとなどを相談するようになっていく。最初は男として自己紹介してたほしだがメールを重ねるうち、自分はOL・藤間美津江(深津絵里)という女であることをハルに告白する。それでも今までと変わらずにお互いの話をする二人の間には、いつしか友情のような絆が深まっていた。ある日、ハルは(ローズ)というハンドル名の女性(戸田菜穂)と知り合い、何度かデートするようになる。ある日、ハルは出張で青森に行くことになり、二人は指定の場所で走る新幹線の中と外から合図を送る約束を交わす。当日、互いにハンカチを振る相手の姿をビデオに収めながら、一瞬だけの対面を果たすのだった。しかし、ほしの妹・由花が帰省して部屋を訪ねて来た時に、妹がローズというハンドル名でパソコン通信をやっていることがわかり、ほしはショックを受けた。以前、ハルはローズと会ったその日にホテルへ行ったと、ほしに嘘を伝えていたのだ。その事を知ったハルは、あわてて本当のことをほしに伝えるが、妹が自分より簡単にハルとの時間を共有していた事実に、ほしはハルにメールを出すのをやめてしまう。ほしに対する本当の気持ちに気付いたハルは、返事が無くてもひたすらほしにメールを送り続ける。同じようにハルに対する気持ちに気付いたほしは、もう一度最初から互いの関係をやり直すことにした。そして、ほしはハルに会うため東京行きの新幹線に乗る。東京駅のホームで待ち合わせたふたりは、「はじめまして」と最初の言葉を交わしたのだった。
その時代における社会現象や流行を映像化させると森田芳光監督は上手い!“家族ゲーム”では受験戦争をシニカルに両断し、“失楽園”では不倫をテーマに衝撃的な性描写を行い、法律の矛盾を浮き彫りにした“39刑法第三十九条”なんてのもあった。そしてネット社会におけるチャットやメールを恋愛ドラマに仕立て上げた本作を観て、正直言って驚いた。本編の3分の1以上をパソコンの文字で構成されているのに、こんなにロマンチックなドラマが作れるのだ。真っ暗な画面にカチャカチャと文字が打たれて面白いか?などという憶測は余計な心配に終わってしまったのだ。相手の顔や姿が見えないメールだからこそ、相手に対する想いが膨らみ、本人ですら予測出来ない展開が生まれる。直接逢って話す事が出来ない二人が親交を深めるメールというものは、平安時代から変わらない便利な手段であって、形態は変わっても思いの伝わり方って一緒なのだ。もしかすると人間って文字が好きな生き物なのでは…?と、さえ本作を観ていると思えてくる。
さて、タイトルの『ハル』…女の子の名前ではない(ポスターに大きく深津絵里の顔が出ているから私と同様、彼女の役名と思って観た方が多いのではないだろうか?)。とある映画好きが集まるチャットで知り合った二人の男女。チャットも映画もほとんど何も知らずに参加した内野聖陽演じる主人公=ハンドルネーム(ハル)の文面から滲み出て来るピュアな人間性に親しみを持った深津絵里演じる主人公=ハンドルネーム(ホシ)がチャットを離れてメール交換を始めお互いの悩みを話し(書き)始める。そう、メールは現代の文通であり、相手が見えないからこそ相手の思いや人間性がよく見えるのかも知れない。本作のような文章が多い映画にも関わらず奥行きが良く出ていたのは我々観客が二人の主人公の文面から得られる人間性と本当に映像として描かれる行動を同時に観る事が出来るからだろう。二人は文章上で、ちょっとした嘘をつく…観客は一瞬、その嘘に戸惑う。何のためについた嘘なのか?そこにちょっとしたスリルを感じる。また、二人は打ち込んだ文章を何度も書き換えて送信したり、送らずに削除したりを繰り返す。その頻度が後半高くなるのは、それだけ相手に対する想いが深くなって来た事の表れでもある。こうした細かな行動から二人の感情を描き出す手法は凄い。
森田監督はこの主人公を徹底的に出会う事をさせない。かろうじて姿を見せ合うのは新幹線で東北へ出張するハルが車窓から約束の場所でビデオカメラを手にして待ち構えているホシを見るだけだ。この約束の場所に近づくにつれ観ている側も胸のドキドキ感が高まる。そして、ほんのちょっとだけ姿を確認した二人が満足するところが実に微笑ましい。黒澤明の“天国と地獄”にインスパイアされて意識したと森田監督は語っていたが、これを恋愛映画に持って来たところも森田監督らしい大胆な試み(この試みは確かに成功している)だ。最近メールを使って悪用する馬鹿共が増えているが、もうこんな純粋にメールで知り合う事は無理な時代になってしまったのだろうか。
「はじめまして(^―^)」ラストシーンで初めて顔を合わす主人公たち。そこで初めて言葉が交わされ、字幕でセリフが表示される。メールを題材にした物語らしい、最高の挨拶だ。
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