高校2年の頃、札幌にある小さな映画館で上映された日本映画に何とも形容し難い親しみを感じ、観終わってしばらくは、心に残ったセリフやシーンを思い起こしては頭の中で反芻して家路についた。これが森田芳光監督との最初の出会い『の・ようなもの』だ。今まで出会った事の無い明るい映像とウィットに富んだセリフの数々。この作品は日本映画におけるミニシアター系作品の走りと言われているが、正にニューヨークのオフブロードウェイで上演されるかのようなお洒落な雰囲気を持っており、多感な高校生の筆者に様々な影響を与えてくれた。まるで、夏の朝の空気みたいな清々しさに、すっかりハマってしまった私はガラガラの場内を見渡し、こんな名作を観ない日本人の程度の低さに嘆きつつ、その映画に出会えた優越感を噛み締めながら、翌週女友だちをむりやり引っ張って観に行った記憶が今でも鮮明に甦る。それまでの日本映画と言えば、角川映画が全盛で、他はと言うとアニメとATGのようなアート志向の難しい映画が主流となっており、『の・ようなもの』みたいな作品はかなり異質なものだった。何と言っても大した事件が起こる訳でも、何か結論が出るとか…そんな完結するものが無いのだから…。そいういった意味においてバブル前夜の80年代初頭…まだ日本がギスギスしておらず、何となく平和な空気が溢れているフワフワしていた時代の雰囲気がよく出ていたと、言っても良いだろう。勿論、私も含めて大半の客は森田監督の名前を知る由もなく、スポーツ紙の映画コラムでは内容よりも秋吉久美子がトルコ嬢を演じて脱いだ!と、いうのが大きく取り上げられ「何?注目ってそこか?」と、今度はスポーツ紙の程度の低さに激怒した。とは言え公開初日の東京渋谷―今は無き“東急名画座”は全回満席となったわけだから快挙と言っても過言ではなかろう。

 それまで8ミリ映画ばかり撮って来た森田監督が、いきなりのメジャーデビューを果たし、では次回作はというとアイドル映画『シブガキ隊ボーイズ&ガールズ』を経て、驚く事に日活ロマンポルノが2作続く。この順序が逆…という現象も面白く、普通だったら成人映画の現場で下積みを重ねメジャーへステップアップするものだが。ところがこの2作『(本)噂のストリッパー』と『ピンクカット太く愛して深く愛して』が実に面白く、特に前者は青春映画としても見事な一遍。ストリッパーに恋した主人公が最後に味わう切ない幕切れをストリップの舞台を使って見事に表現していたのが凄い!そして後者は何とラストはミュージカル仕立てにしてしまうのだから、ますます徒者ではないという実感が湧いてくる。その実感が形となって現れるのは、意外と早かった…そう、あの日本映画史上に残る名作中の名作『家族ゲーム』が、その直後に公開され、ATG映画では考えられない(失礼)大ヒットを記録し、その後テレビドラマ化される等、社会現象を巻き起こしたのである。また、本作においてはテレビ放送の際にカットをされることに抗議し、自ら編集を敢行。最大の見せ場である合格祝いパーティーのシーンを丸ごとカットするという大胆な行動に出たのも話題となった。

 森田芳光監督は、どちらかというと技巧派の気がする…。いや、技巧派と言っても、テクニックに走って内容が伴っていない監督ではない。社会派のサスペンスから、恋愛映画、アクション映画に至るまで、どんな娯楽作を作っても、一本筋の通った独自の世界観を持っている映像作家だ。正直言って、現代において森田芳光のような如才ない監督は珍しい。だからこそ映画賞を総なめにした『それから』は夏目漱石の文学を森田監督なりの映像哲学において構成され、それを画にするにあたって、様々なテクニックに挑戦している。この映画は森田監督にとってエイゼンシュテインや寺山修司のような実験映画なのではないだろうか。それを商業ベースに乗るようなメジャー作品でやってしまうのだから心臓が強いというか…。でも、実際こうしたギミックは『の・ようなもの』から全ての映画で試されていたことで、最初から観続けて来たファンにとっては、この実験や挑戦も含めて森田芳光カラーなのだ。

 森田監督は、『未来の想い出』から『(ハル)』の間に4年間の休止状態を挟んでいるのだが、森田監督を語る上で、大きく分けて、この4年間の休止期間を境に前期と後記に分ける事ができる。前期と言えば、先に記述した通り様々な実験を行いつつ、アイドル映画も手堅く撮り続けている。当時人気絶頂のとんねるずを主演に迎えた『そろばんずく』。その前の『メインテーマ』や『ときめきに死す』といった人気タレントを使った作品も数多く手掛けているのも森田芳光の特長のひとつだ。本来ならば『家族ゲーム』と『それから』で監督として名を上げているのだから、商業映画をやらなくても…と、思うのだが。しかし、タレントに頼る事なく各作品で様々な映像挑戦を行っているのはさすがタダでは起きない監督である。『悲しい色やね』でヤクザの世界をとにかくカッコ良く描き、その中でも常識に捕われる事無い演出スタイルは健在。大阪弁の指導をせずに、独自の大阪弁で構成されるなど大胆な試みは様々な反響を呼んだ。そして、三田佳子という大女優を主役に起用した『おいしい結婚』と翌年に発表した藤子F藤雄の原作を映画化した『未来の想い出』で、しばらく映画監督から遠ざかってしまう。前期の森田監督の作品をこうして並べてみると、かつて日本映画がプログラムピクチャーを量産していた時代、ヒットする確実な映画を作りつつ、自らの作家性を満足させる映画を撮り続けた監督―例えば内田吐夢とか加藤泰とか―を思い出す。映画館でバイトをしていた時に、客の入りが悪い映画の従業員としての思いが、ヒット作を作らなくては…という気持ちにつながっていると語っているのが、こうした映画作りによく表れている。(次号2007年8月30日号に続く)


 森田映画には、様々な変な人たちが画面を横切るかのように現れては消えてゆく。画面の片隅にいながらも、しっかりと存在を主張しているキャラクターたちを見逃しては、100%森田映画を体感したとは言えないのだ。個人的に好きなのは『家族ゲーム』に登場する主人公、茂之の担任である体育教師を演じた加藤善博。いつも面白くなさそうに怒っているのかどうか解らない教師で、生意気な茂之に「何だと!コノヤロー!」と内申書を投げつける。あ〜、ウチにもいたいた…こんな教師…と思った人は多いんじゃなかろうか?特に職員室でつまらなそうに弁当を食べている先生の元へやって来た家庭教師の吉本との冷めたやり取りは最高。相手の話しを聞く態度じゃないだろう〜っていう輩の代表格だ。この演技が認められ(何と!これがデビュー作なのだ)TVドラマ“愛という名のもとに”に抜擢。部下を自殺に追い込んでしまう嫌な証券会社の上司を憎々しげに演じたのが記憶に残る。
 『黒い家』のようなサイコスリラーは主人公が、そもそも変なので誰が?と思うかも知れないが、殺人鬼の魔の手に掛かる心理学者を演じた桂憲一もいい感じを出している。大体、相手の目を見て話せないキャバクラ好きの心理学者って…キャラが際立ちすぎ。さんざん主人公とキャバクラで大はしゃぎした後に殺されてしまうのだ。前作の『39 刑法第三十九条』に至っては全員が特異なキャラで、むしろ脇役の人がまとも?という感が否めない。でも妹を殺した犯人への復讐に燃える主人公の計画に利用される男を演じた勝村政信は、終始罪の意識に苛まれるある種の共犯者を見事に演じていた。借金で首が回らなくなったがために利用されてしまう気の弱い男…彼が事件解明のキーパーソンとなるだけに勝村政信というコメディーが多かった演技派を起用したのは大正解だった。
 シリアスな恋愛映画にも名脇役は登場。『失楽園』の役所広司演じる閑職に左遷された主人公と同じ部署にいる3人の中年男…出版社の中でも資料室という場所に追いやられながらも日々将棋や健康茶を飲んでは女の話しに興じる小坂一也、あがた森魚、石丸謙二郎という芸達者たち。彼らが、ここにきた経緯は描かれていないが、セリフの端々にかつてはやり手の編集者だった事がうかがえる。森田映画には、こうした人生の負け組…とでも言う人間たちが画面の隅をぼんやりと照らしている。
 そんな変なキャラが列挙して登場するのは何と言ってもメジャー第一作『の・ようなもの』だろう。中でも冒頭、公園のベンチで座るカップル信ちゃんの彼女を演じた大角桂子の「この間銭湯に行ったらアタシの体が一番だったんだからぁ」という甘ったるいしゃべり方は一週間は脳裏に残る。それが、女子校のオチ研部員の長島と二役だと聞いて更に驚く。「マイナスヒイキしないでくださ〜い先〜輩」と言うしゃべり方は確かに同じだ。ヤンキーのお馬鹿娘と女子校のお馬鹿娘…彼女のエッセンスがこの映画にパステル調の彩りを添えているのは間違いない。あと、亭主にも子供にも食事を作らず、公園で一人お弁当を食べるのが大好きな団地住まいの主婦を演じる大熊和子も実にイイ味を出している。


森田 芳光(もりた よしみつ )
1950年1月25日 東京都渋谷区生まれ、神奈川県茅ヶ崎市育ち。
 1981年に長編映画監督デビューを飾った『の・ようなもの』はヨコハマ映画祭においてグランプリを受賞。以降、シリアスなドラマからピンク、喜劇、ブラックコメディー、アイドル映画、恋愛映画、ホラー、ミステリと幅広いテーマを意欲的に取り扱い、話題作を数多く発表する。監督だけに留まらず脚本も手掛け、『バカヤロー』をプロデュースするなど幅広く行動している。第20作目の『阿修羅のごとく』で2度目のブルーリボン賞と日本アカデミ−賞最優秀監督賞を受賞している。
 料亭を営む家庭で育ち、幼い頃から祖母に連れられて芝居を見続け、高校時代に観た“ドクトルジバゴ”をきっかけに映画の世界に引き込まれる。日本大学芸術学部放送学科在学中に、映画の制作を開始。飯田橋にある名画座「ギンレイホール」でバイトをしながら8ミリ作品を撮り続ける。転機は1971年に撮った『ライブイン茅ヶ崎』が自主映画界で話題となり、作家の片岡義男が大絶賛したことから一躍注目を集める。そして遂に1981年、『の・ようなもの』でメジャーデビューを果たし、1983年の『家族ゲーム』が大ヒットとなり、広く注目を集める。以後、ジャンルを問わずに幅広く作品を撮り続け、日本を代表する映像作家となった。

【参考文献】
森田芳光組

421頁 20.6 × 2.8cmキネマ旬報社
森田 芳光【著】
各3,360円(税込)

昭和51年(1978)
ライブイン茅ヶ崎

昭和56年(1981)
の・ようなもの

昭和57年(1982)
ボーイズ&ガールズ
噂のストリッパー

昭和58年(1983)
ピンクカット
太く愛して深く愛して  
家族ゲーム

昭和59年(1984)
ときめきに死す
メイン・テーマ

昭和60年(1985)
それから

昭和61年(1986)
そろばんずく

昭和63年(1988)
悲しい色やねん

平成1年(1989)
愛と平成の色男
キッチン

平成3年(1991)
おいしい結婚

平成4年(1992)
未来の想い出

平成8年(1996)
ハル

平成9年(1997)
失楽園

平成11年(1999)
39 刑法第三十九条
黒い家

平成14年(2002)
模倣犯

平成15年(2003)
阿修羅のごとく

平成16年(2004)
海猫

平成18年(2006)
間宮兄弟

平成19年(2007)
サウスバウンド
椿三十郎




Produced by funano mameo , Illusted by yamaguchi ai
copylight:(c)2006nihoneiga-gekijou