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ところが、ある時を境に、マドンナが寅次郎に好意を抱いているにも関わらず、自ら身を引いてしまう局面が出てくるようになる。映画の中では理由ははっきり語られないが、観客はあれこれと寅次郎の心境を推察する。“あれは、きっと彼女の幸せを願った寅が自分では無理だと判断したからだ”とか、“マドンナの積極性に寅がビビったからだ”とか。寅さんが、毎回マドンナに猪突猛進していたならば、きっと20作もすれば観客に飽きられたに違いない。回を追う毎に相手を思いやる優しさが車寅次郎を男として成長させてゆき、こうした寅さんの成長が観客を心地良くさせたのだ。1作目から6作目までの寅さんは、本当にガキそのものだった。『男はつらいよ』では、妹さくらの見合いを酔っ払った挙げ句に下品な下ネタでグチャグチャにしてしまうし、『続男はつらいよ』では、入院していた病院を抜け出して酒を飲み、無銭飲食で留置所に入れられてしまうのだ。それを責められて反省するどころか居直った末に「ゴチャゴチャうるせえな!」と、さくらを泣かせてしまう。まぁ、この時期の寅さんはマドンナにフラれても当然と言えば当然だった。『続・男はつらいよ』では、生き別れの瞼の母と衝撃的な再会の末、マドンナ佐藤オリエの前でオイオイ泣きじゃくるのだから、そんな男に誰が惚れようか。それが、27作目『浪花の恋の寅次郎』では、松坂慶子演じるマドンナの大阪芸者が、生き別れの弟を見つけ出し訪ねたものの既に弟は他界。それを教えてくれた同僚に対して取り乱す松坂慶子に代わり、丁重にお礼を述べるまでに成長しているのだ。ところが、そんな寅次郎に好意を抱いてくれたマドンナが愛の表現をしようとすると必ずはぐらかしてしまう。浮き草家業の自分が、一人の女を幸せに出来るはずがない…とでも思っているのだろうか?片思いの時は浮かれているにも関わらず、相手が振り向きかけた途端、突然前触れもなく臆病者になってしまう。ずっとフラれ続けた男は、恋愛に対して臆病になる…という解釈もあるだろうが、寅さんの場合は全てがそのケースに当てはまるとは思えない。マドンナからフラれたわけでもないのに彼女の幸せを考えて自ら身を引くようになったのは8作目『寅次郎恋歌』からである。母子二人で生きていこうと頑張っているマドンナ・池内淳子に憧れを抱くも、地に足をつけて働くマドンナの姿を見て、自分とは生きる世界が決定的に違うのだ…と、痛感して身を引く寅さんの姿が描かれている。彼女の口をつく「寅さんが羨ましいわ、一緒について行きたい」という言葉が寅さんを現実の世界に引き戻したのだ。この作品以降、寅次郎は何度か同じ思い(ある意味、失意と表現した方が良いかも知れない)の中で突然旅に出てしまう。 マドンナから愛の告白をされながら、初めて寅さんの方でフってしまう10作『寅次郎夢枕』は余りにも意外な展開に場内がピリッとした緊張感に包まれた。マドンナを演じるのは八千草薫。寅さんも惚れていたはずなのだが…やはり、一度結婚に失敗して子供と離れて暮らさざるを得ない彼女の心の傷を自分では癒せないと勝手に諦めたのだろうか。11作目『寅次郎恋やつれ』(吉永小百合がマドンナ歌子を演じる『柴又慕情』の続編)では、マドンナを恋愛の対象としてではなく心から彼女の幸せを願う寅さんが描かれている。前作で父親との確執を残したまま家を飛び出し、結婚した歌子は夫に死なれてしまい東京へ戻ってくる。歌子と父親の溝を何とかしようと一念発起する寅次郎の暴走ぶりが楽しめ、前作よりも評価をするファンがいるほど、宮口精二演じる父親と歌子の関係や、そこに介入した寅次郎…といった構図がバランスよく描かれていた。頼まれもしないのに歌子の父親に会いに行って非難してきた寅次郎をさくらやおばちゃんが、「どうして、余計な事をするの!」と、こっぴどく叱るシーンがある。ここに、寅次郎と世間の間にある善意のズレが明確に表れていて興味深かった。結果的には、寅次郎の遠慮ない物言いが父親の心を揺さぶり、娘と数年ぶりに和解する事になるのだが、歌子の幸せを確信した寅次郎は、多摩川の花火大会の日に会いに行き、何も言わずに旅に出てしまう。まるで、自分の役目を果たしたかのように彼女の前から姿を消す寅次郎(その前に路上で古本を売っていたところ何度も警官に追い立てられる目にあい、自分の無力さを感じとっている)は、あまりにもカッコ良かった。寅さんは、未亡人となったからといって、決して人の不幸に付け入るような邪推な真似はしないのだ。 中期から後期では、マドンナの方が積極的なのが多く、『噂の寅次郎』の大原麗子を筆頭に、『口笛を吹く寅次郎』と『知床慕情』の2作で寅さんにフラれてしまう竹下景子…『サラダ記念日』の三田佳子、『寅次郎の青春』の風吹ジュンに至っては寅さんは全く彼女の気持ちに気づかず、後藤久美子に「まだ気づかないの?おじちゃまの事を愛しているのよ」と、たしなめられる始末。更に『寅次郎あじさいの恋』のいしだあゆみからは、猛烈なアタックをされて、いつもの『男はつらいよ』シリーズには無かった緊迫感に場内が包まれた事を記憶している。寅さんとマドンナの恋愛を語るには不可欠な浅丘ルリ子演じるリリーについては、次回“リリー特集”にてご紹介したいと思います。
【寅さんの啖呵売―基本形】 【寅さんの売った主な商品と寅さんの口上】 物語のエンディング近くで寅さんが売っているものは、劇中に関わったマドンナや巨匠と呼ばれる人々に関わった物が多く、「寅次郎あじさいの恋」のエンディングでバッタ物の瀬戸物を人間国宝の加納作次郎の品物だと売っている所に当の本人が現れて再会を喜ぶ…といった粋なラストになっていたり、「私の寅さん」では岸恵子演じたマドンナが絵描きだった事から失恋しても尚、絵を売って、そこでの口上がマドンナが寅さんにしゃべっていた事だったりと、可笑しくも切ない啖呵売をしていたのが印象に残る。また、松坂慶子がマドンナの時に水中花を売っていたり、都はるみがマドンナの時は演歌のカセットを売ったり…と、楽屋ネタが楽しめるのも、啖呵売のシーンの特長であった。言ってみればその作品の総決算というまとめの位置にあるのがエンディング近くの啖呵売シーンなのである。 |
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