『男はつらいよ』で無くてはならない重要な舞台“とらや”。冒頭、旅先から帰ってきた寅さんが江戸川の河川敷を懐かしそうに歩き、ゴルフの邪魔をしたり、時にはカップルを冷やかしたりして、次のカットは帝釈天が映し出される。前期の『男はつらいよ』は、こうした定番のパターンで物語が始まる。寅さんが“とらや”に戻ってくるシーンは、必ず店の中から外に向かってカメラが設置されている。店のテーブルに腰掛けて談笑しているおいちゃん、おばあちゃん、さくら(時にはタコ社長も)…一度、店の前を通り過ぎる寅さんを見つけて「あれ、お兄ちゃん!」とさくらが言うと照れくさそうに入ってくる寅さん。この“とらや”の店内、広すぎるでもなく狭すぎるでもない、老夫婦が慎ましくやっていくのに最適な広さなのだ。この“とらや”を観ただけで、おいちゃんとおばあちゃんの人柄が理解できるというのは、美術の力に依るところが大きい。寅さんがいない時は物置と化す二階に上がるふたつの階段が茶の間を挟んでシンメトリーで配置されている完璧な建造美。寅さんが二階に上がる前に階段の手すりを使って繰り広げる独り芝居は、まるでステージのようだ。
 シネマスコープサイズにこだわった山田洋次監督は、ひとつのフレームに“とらや”の家族が収まる事を念頭に置いていたというが、そうなると必然的に家族が一堂に会する“とらや”のセットもまた重要な役割を担っている事になる。また、レギュラーメンバーが唯一、勢揃いするシーンで使われるのが店の奥にある茶の間。前述したシネマスコープサイズの威力が最大限に発揮されるシーンだ。多くの人はシネマスコープはスペクタクル映像(海が割れたりとか砂漠とかアルプスの草原とか…)向きと思っているようだが、限られたスペースの中で繰り広げられる人間ドラマに適したサイズである事を覚えておいて欲しい。“とらや”の茶の間はテーブルひとつある6畳足らずで、寅さんを囲んで食事をしたり、寅さんの土産話を聞いたり、大喧嘩をしたりする場所だ。カメラの位置を変えると茶の間の向こうに見えるのが“隣の仏間”だったり“店と向かいの煎餅屋のある通り”はたまた“裏庭と博の働く工場”である。しかし、一番多いアングルは隣の仏間から見た風景…“台所とお風呂のガラス戸、2階へ上がる階段”は、ある意味、寅さんだけの独壇場となる名シーンが数多く誕生した。階段を上がって寝床に入ろうとする寅さんが家族のいる茶の間に振り返って浅丘ルリ子演じるリリーが大きな劇場で歌う日の事を想像しながら語る“寅次郎のアリア”(『寅次郎ハイビスカスの花』)はシリーズ屈指の名シーンとなった。
 この40坪足らずの“とらや”の中で撮影監督・高羽哲夫がカメラを巧みに操る事が出来たのは、計算され尽くした“とらや”のセットを作り上げた美術スタッフの功績が大きい。第1作目のセット図面を書き上げたのは『楢山節考』や『紀ノ川』を手掛けた梅田千代夫。梅田の図面を作目『家族』の佐藤公信が手直しを行い、16作『葛飾立志篇』以降は出川三男がカメラの位置と出演者たちの距離感を考え抜いた設計を施して完成させたのだ。だから16作より前の『男はつらいよ』を観てみると微妙にディティールが異なる事に気付くだろう。出川は参道から“とらや”の家族が食事をする居間を見えるように改良を行い、空間の広がりと奥行きを作り上げた。「その事で観客は退屈せずに画面を観る事が出来る」と自負している。
(『男はつらいよパーフェクト・ガイド』NHK出版より抜粋)
 毎回、“とらや”はセット撮影が始まる2週間前から建て込みを開始。土台のコンクリートを敷き1週間掛けて6人前後のスタッフで組み立てるのだ。そして、仕上げの内装では壁紙を張り替えるのだが壁に汚しを施して古さを出す。更に柱や欄干の木の部分には細部に渡ってワックスがけをするという。小物に至っては長い間しまい込んだせいで壊れている事も多く、修復不可能なものについては新品を購入しては、毎度の事ながら、表面をバナーで焼き色を付けて日に焼けた雰囲気を出している。何度もクランクアップしては解体して倉庫にしまい撮影が始まると組み立てる。“とらや”のセットはシリーズと同じ年月を経て存在しており、スクリーンに映し出される柱や畳の色は作りものではない真実の色や誇りなのだ。“とらや”のセットは今でも葛飾・柴又にある“寅さん記念館”で実物に接する事が出来る。松竹大船撮影所が閉鎖される時に本物のセットをそのまま移築してきたのだ。映画で観るよりも意外に台所は狭く、茶の間も5人も座ればギューギューの広さだ。まるほど…マドンナが“とらや”を訪ねた時は、おばあちゃんがいつも台所にいて食卓につかない理由は、そういう事か…と理解できる。ちなみに、“とらや”のモデルとなっただんご屋“亀屋”は、第1作目が完成した2年後に鉄筋のビルになってしまったという。山田監督と梅田美術監督がロケハンの際に見つけたこの店は、店から裏庭まで通じる土間が通っている奥行きの長い作りとなっており非常にいい感じだったという。本物は変わり、虚構が残ったというのも皮肉な話しである。
 勿論、美術部の仕事は“とらや”の造形だけではない。大体がロケーション撮影の『男はつらいよ』だが、いつも理想的な立地の建物があるわけではない。あちこちロケハンを行った結果、条件やイメージに合わなければ美術部の出番だ。無ければ作るしかない。『続男はつらいよ』の寅さんの恩師・坪内散歩の侘び寂あるこじんまりとした日本家屋は大船撮影所に作られたセットだ。セット撮影の良さは天候に左右されないのも勿論だか、人工的だが情感溢れる光を生み出せるところだ。縁側で秋の夕日に息絶えている散歩先生と愕然とする寅さんの画は絵画のような美しさを放っていた。
 こうした建物のような大掛かりなセットだけに限らず、小物を集めたり、時には作ったりするのも美術スタッフの大切な仕事だ。もしかすると画面に殆ど(フレームアウトする確率の方が多い)映らない食器やマッチに至るまで“とらや”の人々や寅さんが使いそうなものを探してくる。その中でも一番、目にするのが寅さんが商売で売る怪しいバッタもんの数々。私たちがお祭りに行くと見たことがあるチープなのにユーモアを兼ね備えた魅力的な品々ばかりだ。出演者だけにしか見えない小さな物でも、その小物が出演者たちのモチベーションを高める事だってあるのだ。美術スタッフたちはスクリーンに映らないところまで『男はつらいよ』の世界を作り上げるのだ。
【梅田千代夫】
昭和44年(1969)
男はつらいよ

【宇野耕司】
昭和45年(1970)
新・男はつらいよ

【高田三男】
昭和50年(1975)
男はつらいよ
 葛飾立志篇

【佐藤公信】
昭和44年(1969)
続男はつらいよ

昭和45年(1970)
男はつらいよ
 フーテンの寅
男はつらいよ 望郷篇

昭和46年(1971)
男はつらいよ 純情篇
男はつらいよ 奮闘篇
男はつらいよ
 寅次郎恋歌

昭和47年(1972)
男はつらいよ 柴又慕情
男はつらいよ
 寅次郎夢枕

昭和48年(1973)
男はつらいよ
 寅次郎忘れな草
男はつらいよ
 私の寅さん

昭和49年(1974)
男はつらいよ
 寅次郎恋やつれ
男はつらいよ
 寅次郎子守唄

昭和50年(1975)
男はつらいよ
 寅次郎相合い傘

【出川光男】
昭和51年(1976)
男はつらいよ
 寅次郎夕焼け小焼け

男はつらいよ
 寅次郎純情詩集

昭和52年(1977)
男はつらいよ
 寅次郎と殿様
男はつらいよ
 寅次郎頑張れ!

昭和53年(1978)
男はつらいよ
 寅次郎わが道をゆく
男はつらいよ
 噂の寅次郎

昭和54年(1979)
男はつらいよ
 翔んでる寅次郎
男はつらいよ
 寅次郎春の夢

昭和55年(1980)
男はつらいよ 寅次郎ハイビスカスの花
男はつらいよ
 寅次郎かもめ歌

昭和56年(1981)
男はつらいよ
 浪花の恋の寅次郎

男はつらいよ
 寅次郎紙風船

昭和57年(1982)
男はつらいよ
 寅次郎あじさいの恋

男はつらいよ
 花も嵐も寅次郎

昭和58年(1983)
男はつらいよ
 旅と女と寅次郎
男はつらいよ
 口笛を吹く寅次郎

昭和59年(1984)
男はつらいよ
 夜霧にむせぶ寅次郎
男はつらいよ
 寅次郎真実一路

昭和60年(1985)
男はつらいよ
 寅次郎恋愛塾
男はつらいよ
 柴又より愛をこめて

昭和61年(1986)
男はつらいよ
 幸福の青い鳥

昭和62年(1987)
男はつらいよ 知床慕情
男はつらいよ
 寅次郎物語

昭和63年(1988)
男はつらいよ
 寅次郎サラダ記念日

平成1年(1989)
男はつらいよ
 寅次郎心の旅路
男はつらいよ
 ぼくの伯父さん

平成2年(1990)
男はつらいよ
 寅次郎の休日

平成3年(1991)
男はつらいよ
 寅次郎の告白

平成4年(1992)
男はつらいよ
 寅次郎の青春

平成5年(1993)
男はつらいよ
 寅次郎の縁談

平成6年(1994)
男はつらいよ
 拝啓 車寅次郎様

平成7年(1995)
男はつらいよ
 寅次郎紅の花

平成9年(1997)
男はつらいよ 寅次郎ハイビスカスの花 特別篇




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