脚本家―筒井ともみが森田芳光監督作品に初めて関わった夏目漱石原作の『それから』。日本の名立たる文豪の小説を現代的な感覚を取り込みながら、出演者が発するセリフのひとつひとつに、時代の雰囲気をしっかりと残す…極めて微妙な脚本を仕上げていた。観客を惹き付ける言葉の魅力というのが本作の全編に流れており(流れている…という表現がピッタリはまる程、聞いていて心地良いセリフの数々が登場する)彼女の才能を知らしめた映画であった。彼女の作品は、どれもストレートみたいに見えつつも、実はどこかに“毒”っぽさを感じる。この“毒”の部分というのは、男性の感性では考え及ばない部分であり、目で見て解るような単純なものでは無い。どんな人間でも持っている“エゴ”や“プライド”から来る冷たさ…それを筒井ともみは原作から抽出し、登場人物に生命を与えるのである。『それから』でも、か弱く消え入りそうな出立ちの藤谷美和子演じる三千代が、中盤からどことなく大胆な“女”を見せる。松田優作演じる主人公、長井の元に急いでやって来た彼女は、喉が渇いたと言って水を求めるシーンがあるのだが、彼女は右往左往しながら水を探し求める長井を横目に、花瓶の中の水をコップにすくって飲み干してしまう。美しくもありつつ、どこか女性の冷静さの中に秘めた“強さ”や“大胆さ”を垣間見た気がした。本作は松田優作から「シナリオを書かないか?」と誘われたのがきっかけらしいが、彼女自身もかつて森田監督が作った『ときめきに死す』のシナリオを読み、自分と共通する空気感を感じ「いつか一緒に仕事をする」予感を持っていたという。約2週間で書き上げたという『それから』ではキネマ旬報脚本賞を受賞した。
その後、“微熱少年”(この映画も瑞々しい映像の根底にものすごい毒を持っていた)や“華の乱”等映画の脚本を執筆し、12年ぶりに森田作品を手掛ける事となったのが、あの渡辺淳一原作のベストセラー『失楽園』である。本人曰く「この原作を自分がシナリオ化することは考えていなかった」とされているが、森田監督が自ら脚本を書かないならば、この原作を脚本に出来るのは、筒井ともみしかいないだろうと思う。特に黒木瞳演じるヒロイン像について、男性の原作者と男性の監督では描き切れない女性の内面像を女性ならではの観点から付け加えられ、オリジナルには無かった女性の心理描写がされていたのが女性客に受け入れられた成功の要因だったのではなかろうか。彼女は「女が本然的なセックスを手に入れる事によって、今の時代を突き抜けて遠くを見据えられる視線を獲得する話にしたかった」と語り(「森田芳光組」キネマ旬報社刊)そのためには愛した男の一人は道連れにするという。彼女的にはもっと怖く女性を描きたかったらしいのだが、それでも時折見せる主人公、凛子の冷たさにはハッとさせられるシーンも多々ある。「書道の教室を増やして欲しい」と凛子が頼んだと友人から聞いて金に困っているのでは?と考えるのが男の発想で、それを彼女に告げると「外に出る口実が増えれば貴方に逢えるから…」と怒る。このシーンに筒井ともみの描きたかった女性―凛子を感じた。
翌年、森田監督とのコンビが続く『阿修羅のごとく』では、遂にテレビドラマ普及の名作であり、向田邦子の代表作に挑戦する事となる。第三者としては、同じ脚本家として、既に金字塔となっている向田邦子の作品を手掛けるリスクを考えると、かなりの重圧があったのでは?と邪推してしまう。彼女自身、一度“あ・うん”の再ドラマを手掛けているが、名プロデューサーであった久世光彦も、『阿修羅のごとく』には手を出さないと言っていたという。それだけ、和田勉の手掛けたオリジナルは完璧だったからのだ。しかし、既に24年という歳月が経過し、映画の観客も世代交代が始まっている現在だからこそ、筒井ともみ版の『阿修羅のごとく』が成立したのであろう。だからと言って、時代を現代に置き換えるのではなく、あえてオリジナルの時代に生きる人々(ここでは家族)を描く事が、本作のポイントであり、ある種の挑戦…だったと言えよう。筒井ともみは昭和の家族を映画の短さに集約しなくてはならないという大きな課題をクリアし、2時間強という時間の中で登場人物の性格や関係を端的にまとめあげていたのは素晴らしい。筆者はあえてオリジナルドラマを見ずに劇場へ足を運んだが、映画版のオリジナルが間違いなく存在していた。4割程付け加えたシーンがあるらしいのだが、全てのシーンに理由があり、無駄の無いシークエンスが次のシークエンスへのバトンリレーの如く流動しているのが見事としか言いようが無い。
そして、現在のところ森田監督と最後の仕事となっている谷村志保の原作『海猫』においても、漁師の家に嫁いで来た女性が夫と義弟との間で複雑に揺れ動く心理を描いている。前作『阿修羅のごとく』のような大作というわけではないので、むしろ本作の方が筒井ともみらしさを感じる脚本だったように感じた。函館と南茅部の二つの町を交互に描きながら人間描写をそこに挿入するデリケートな構成は、下手をすると解りにくくなってしまいがちなのだが、筒井ともみは、それを巧みに整理しコンパクトにまとめあげている。男と女の許されざる愛というのは『失楽園』で実績があるものの、本作は環境の異なる田舎町とその家庭に入った女性の苦悩を描かなくてはならない。それを一手に伊東美咲演じる薫という女性が表現しなくてはならないのだから脚本構成が要となったのは想像するに容易い。過去4作品全てが原作ありきの脚本で、主人公は許されざる愛に苦しむ女性という共通点がある。セリフを大切にする森田監督にとって、筒井ともみの生み出す言葉(描かれている女性の心理や行動も含めて)が、映画の出来を左右する重要なポイントとなっていると言っても過言ではないだろう。
筒井 ともみ(つつい ともみ) 本名:筒井 共美
1948年7月10日 東京都世田谷生まれ 成城大学文芸学部文芸学科国文学コースを卒業。女優の赤木蘭子を伯母に持ち、俳優の信欣三は伯父にあたる。1972年頃から脚本家として活動を開始、アニメーションから実写ドラマ、映画の脚本を手掛ける一方で、小説、エッセイの執筆と活躍の場を広げている。1996年にTBSドラマ「響子」とテレビ東京ドラマ「小石川の家」が、“鋭くて繊細な美意識”と“作風のオリジナリティ”を高く評価され、第14回向田邦子賞 を受賞。2007年4月からは東京芸術大学大学院の准教授を務める。名刺、携帯電話、パソコンを使わないと公言し(2004年、エッセイ「よむサラダ」『読売新聞』生活面)実践するする日々を送って来たが、2007年に自身の公式ページを開設した。
(筒井ともみ公式HP http://homepage2.nifty.com/tsutsuizutsu/)
女優の赤木蘭子夫婦と名カメラマン・宮島義勇氏の影響で映画界に興味を持ち続けた彼女が、初めて映画の世界と関わったのが森田芳光監督作品『それから』の脚本から。松田優作に請われて執筆を担当し、映画デビュー作にも関わらず数々の賞に輝く。以来、森田監督作品では無くてはならない脚本家としてコンビを組み、『失楽園』と『阿修羅のごとく』において日本アカデミー賞優秀脚本賞を受賞している。テレビ界の視聴率絶対主義と"判りやすさ”にばかりひれ伏す体質にソリが合わなかった彼女は次第に映画の世界へとシフトしていき、2005年の『ベロニカは死ぬことにした』において、脚本だけでなく、プロデュースにも初挑戦している。(Wikipediaより一部抜粋)
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