それから
花一輪、ふたつの鉢には盛れません。
1985年 カラー ビスタサイズ 130min 東映
製作 黒沢満、藤峰貞利 監督 森田芳光 脚本 筒井ともみ 原作 夏目漱石 撮影 前田米造
美術 今村力 スタイリスト 北村道子 音楽 梅林茂 編集 鈴木晄 録音 橋本文雄、宮本久幸
照明 矢部一男 衣裳 山田実、高島由里子 助監督 原隆仁 製作担当 青木勝彦
出演 松田優作、藤谷美和子、小林薫、笠智衆、中村嘉葎雄、草笛光子、風間杜夫、美保純、森尾由美
イッセー尾形、羽賀研二、川上麻衣子、遠藤京子、泉じゅん、一の宮あつ子、小林勝彦、佐原健二
加藤和夫、水島弘、小林トシエ、佐藤恒治、伊藤洋三郎
日本の近代文学を代表する文豪・夏目漱石の恋愛三部作(「三四郎」「それから」「門」)のひとつ、最高傑作と評価の高い同名小説の初映画化である。明治後期の東京を舞台に、破綻を予期しながらも愛に突き進んだ男の姿を森田芳光監督が2年以上の構想を経て、現代感覚の映像に表現。主演に松田優作を迎え、『家族ゲーム』で昭和58年度のあらゆる映画賞を席巻し、世界からも注目を集めたグランプリコンビが、真正面から挑む文芸大作だ。「三四郎」の続編をなす本作は、明治42年6月から朝日新聞に連載され、古い仕来りに逆らってまで愛に生きる同年代の男の姿に、当時の青年たちは多くの共感を得たという。それまで、先鋭なテーマの作品を手掛けて来た森田芳光が、一転してクラシックの世界にチャレンジ。脚本に女性ライター筒井ともみを起用し、本作以降数々の森田作品を手掛ける事となる。撮影は『家族ゲーム』『お葬式』の前田米造、さらに“サントリーランボー”等のCMを手掛けたスタイリスト北村道子も加わり、斬新でファッショナブルな明治が映像化されている。本作は日本アカデミー賞助演男優賞を始め数々の賞を受賞し、改めて森田芳光監督の実力が評価された作品として名高く残っている。
明治後期の東京。大実業家の父(笠智衆)を持つ長井代助(松田優作)は、三十歳になってもあえて定職を持たず、毎日を気ままに送っていた。事業を継いでいる兄・誠吾(中村嘉葎雄)より多大な援助を受けていた代助は父や兄より持ちかけられる縁談や事業の誘いをその都度、拒み続けていた。ある日、代助に、親友・平岡常次郎(小林薫)から便りが届く。大学を出ですぐに大手銀行に入社したのだが、部下が引き起こした問題の責任を負い辞職するというのだ。三年ぶりの再会を果たす代助にとって、平岡の妻・三千代(藤谷美和子)との再会を意味していた。三千代と代助は、かつて互いに想いを寄せていながらも想いを告げる事なく三千代は平岡と結婚をしてしまったのだ。代助に、就職の相談を持ちかける平岡は、すっかり別人となっており、社会人としての生活は平岡を俗人に変貌させていた。三年ぶりに再会した三千代は、生活にやつれていながらも美しく、代助の心に封印して来た想いが湧きあがってきた。平岡のために、兄に頭を下げ借金をする代助は、過去に自分が選択した道が誤りであったことに気付くのだった。代助は親友である平岡が三千代に惹かれていることを知り、友情のために三千代を諦めたのだ。平岡に三千代を譲るべきではなかったと後悔した代助は、三千代に自分の気持ちを打ち明ける決意をする。代助の告白に、三千代は涙を流しながら「覚悟を決めます」とつぶやいた。親友の妻との結婚を報告に行った代助は、家族から勘当されてしまう。無一文となった代助は、三千代とのそれからを思い、家路に着くのだった。
正直言って、森田芳光と夏目漱石…と、いう組み合わせにイメージが追いつかなかった。確かに、様々なジャンルの様々な映像を提供して来た監督だから、近代文学の映画化だって無難にこなすであろうとは思ったのだが、今ひとつピンと来なかったという記憶がある。それが、どうであろう…今まで唐突にインサートされて来た森田監督ならではの不条理な映像が、近代化の波が押し寄せていた明治時代のイメージにピタリと当てはまっているではありませんか。なるほど!本作で描かれている夏目文学の世界―つまり、時代の波について行けなかった若者たちの心境―を描くには、森田監督特有の不条理な映像こそが必要なエッセンスだったのだ。とは言え、全編がシュールリアリスムの世界で構成されているかというと、その正反対。本作では、いつもカメラを移動させては、凝ったアングルで表現していた森田監督ではなく、まるで小津安二郎監督を彷彿とさせる、固定されたカメラアングルで淡々と出演者たちの演技を追い続ける。その向こうに広がるのは、瑞々しいまでの透明感溢れる純朴な青年と、今にも心が圧し潰されそうな可憐な人妻…。感情が露骨に表れる事のないギリギリに抑えたセリフ回しにはジックリと見据える固定カメラが必要だったのだろう。その分、出演者の感情が露になるシーンでは一転してシュールな行動や映像が散りばめられる。こうした独特の森田ワールドが、見事に夏目漱石の文体にマッチしていたのだ。本作で唯一、感情をありのままに呈する三千代の夫平岡を演じる小林薫の演技が素晴らしく(各映画賞を受賞したのは納得)平岡の内に秘めた冷たさがセリフの端々から伝わってくるのである。棒読みっぽくも聞こえる独特なセリフの言い回しも小津安二郎的だ。
これまでの森田監督が手掛けた中で、一番映像に対するこだわりが色濃く表れている作品が本作ではなかろうか?と思えるほど印象に残る美しいシーンが多い。代助の家を訪れた三千代が、走って来たから咽が渇いたと言って廊下にあった花瓶の水をコップにすくって飲むシーンがある。三千代という女性をたったワンシーンのみで語り、観客に理解させてしまうほど完璧な場面だ。また、若き日の代助と三千代が雨の中で白百合を見つめながら想いを交わす清水町の石橋のシーンでは、見事なセットの中で高速度撮影によって雨の一粒一粒が二人の切ない気持ちを代弁するなど、本作における水の描き方が重要なポイントとなっていることも特筆すべき点であろう。また、代助が平岡の家から帰る時の市電のシーンは寺山修司の実験映画を彷彿とさせる素晴らしいイメージショットとなっている。路面電車の屋根が無くなり月を見上げる乗客や、花火を持つ乗客等…代助が想いを寄せる女性の家から自分の世界に戻るシーンで使われている。言わば、この電車が現実と非現実との境界線となっているわけだ。一人の恵まれた環境で育った男が愛によって全てを失う…内容としては単純かも知れないが、そこに描かれている人間の心の奥深くにある本質的なものを森田監督の映像は如実に表現しているところがスゴい!のだ。
「寂しくていけないから、また来てちょうだい…」松田優作が帰る時に、消え入りそうな声で藤谷美和子が言うセリフ。あまりにも切なくなる場面だ。
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