昭和残侠伝
昨日は血桜、今日は緋牡丹!真っ赤に咲いた男でもたまにゃ泣きてぇ、思いきり!
1965年 カラー シネマスコープ 91min 東映東京
企画 俊藤浩滋、吉田達 監督 佐伯清 助監督 降旗康男 脚本 村尾昭、山本英明、松本功
撮影 星島一郎 音楽 菊池俊輔 作詞 佐伯清 作曲 水城一狼 唄 高倉健 美術 藤田博
録音 加瀬寿士 照明 川崎保之丞 編集 長沢嘉樹
出演 高倉健、三田佳子、池部良、菅原謙二、松方弘樹、梅宮辰夫、水上竜子、山本麟一、
江原真二郎、 室田日出男、中山昭二、水島道太郎、潮健児、伊井友三郎、三遊亭円生、八名信夫、
河合絃司、梓英子、沢彰謙、亀石征一郎、中田博久

東映任侠映画が全盛期の頃に、看板スター高倉健主演による新シリーズをもう一本作ろう…と、いうことで考案された本作。このシリーズは9作品続き、好評を博したのはクライマックスで共演の池部良と共に男二人の相合い傘で、敵陣へ殴り込みを掛けるという道中、バックに流れる「唐獅子牡丹」のテーマソングであった。この歌は東映の大部屋俳優、水木一狼が即興で歌ったものが主題歌となり、さらに本作で高倉健が背中に唐獅子牡丹の刺青を入れる事になった…言わば歌が先行してシチュエーションが生まれたわけだ。村尾昭、山本英明、松本功による共同シナリオが、学生運動の若者にうけたのは、正にクライマックスで死地へと向かう男の姿に自分たちを投影したからに他ならない。俯瞰からスポットライトで二人を照らし出す渋い撮影を担当した星島一郎のカメラは実にカッコいいの一言に尽きた。しかし佐伯清監督は、このシーンのバックに歌を流す事を最後まで嫌ったおかげで、助監督を務めた降旗康男が代役で撮影したのは有名な話しだ。クライマックスの撮影前、スケジュールが押していたにも関わらず高倉健は、あえて3日間のオフをもらい、その間にジムへ通って完璧な筋肉を作り上げたという程の徹底ぶりをみせた。そして、遂に殴り込みのシーンで、刺青絵師によって6時間かけて描き出された唐獅子牡丹が斬られた着物の隙間から鮮やかに見えた時、観客の興奮は最高潮に達したのである。

敗戦直後の浅草―露天商を営む人々は新興やくざ新誠会によって、上納金に苦しめられていた。昔ながらの神津組二代目源之助は、新誠会のやり方に成す術がなかった。そんな中、反目していた源之助が新誠会の手によって射殺された。それから数日後、戦争に行っていた寺島清次(高倉健)が復員。様子の変わった浅草の街と親分の死に直面した清次だったが、今は亡き源之助の遺言―三代目を継ぐ決意を固めるのだった。清次は組の仲間たちの協力を得て、露天商の商品集めに奔走する。そんな清次たちを卑劣な手段で妨害する新誠会に、遂に単身新誠会に殴り込んだ組員の五郎(梅宮辰夫)は、恋人の娼婦美代をかばい殴殺されてしまう。客分として神津組に草蛙を脱いでいた風間(池部良)は美代が実の妹であったことを知るのだった。神津組は、浅草の復興を願う親分衆の力によってマーケットを完成させたのもつかの間、新誠会によって放火されてしまう。遂に、清次は風間と共に短刀を握りしめ新誠会に殴り込みをかける。

タイトルよりも高倉健が歌う主題歌“唐獅子牡丹”のフレーズが有名である本作は、東映が任侠映画全盛期の頃に作られた人気シリーズである。共演にヤクザ映画では認知度の低かった池部良を配し、悪党どもに苦渋を舐めさせられた健さん演じる主人公が堪忍袋の緒が切れて、いよいよ単身殴り込みを掛けるところで、番傘を持った(クライマックスは必ず雨か雪が降っているのだ)池部演じる助っ人がお供しますと相合い傘で肩を並べて歩いていく…と、いうのがシリーズお決まりのパターンである。これがカッコいいのだ。プロデューサーである俊藤浩滋は当時、周囲の反対を押し切って池部良を説得。結果は周知の通り、男同士の道行きシーンは全シリーズ共通の見せ場となる。このバックに流れる主題歌は高倉健の後輩である水木一狼という役者が作った物で、この曲から健さんの背中に唐獅子牡丹の彫り物を入れる事になったという。敵の銃弾で負傷した健さんの腕から、渡世人の池部がドスを使って弾を抜くシーンの男っぽさは、ある意味美しく、任侠映画でこれほど美しいシーンがある事に驚かされた。そこに多くの観客がしびれたのは当たり前と言えば当たり前か…。
一作目の本作は終戦後の瓦礫と化した街にマーケットを建設し、その利権を巡って、誠実な露店商一家と卑劣な手段で横槍を入れる新興暴力団の戦いを描いている。世間は学生運動の嵐が吹き荒れている時代で、全共闘の学生に絶大な人気を誇っていた。庶民を苦しめる権力者=新興暴力団という図式が彼らの目にオーバーラップしたのかも知れない。暴力団によって命を落とした親分の争いはしないという遺言を守り、傍若無人な暴力団の振る舞いに非暴力で対抗する露店商の男たちの姿こそが国家権力に対抗している自分自身の姿になぞらえることができたのだろう。ギリギリまで暴力に訴えない彼らの姿はカッコ良く魅力的だ。まだ、血気盛んな若者を演じる松方弘樹、愛する娼婦のために命を落とす梅宮辰夫…どの男の生き様も惚れ惚れする。それはキャラクターがしっかりと描き込まれているからだ。こうした男たちの姿をいかに際立たせられるかが演出に課せられた使命であり、佐伯清監督は見事に男たちの陰影を浮き彫りにすることに成功している。そして、敵陣に乗り込んだ健さんの背後から斬りつけられ、割れた着物の間から唐獅子牡丹が見えるところで、場内は割れんばかりの拍手喝采が沸き起こり興奮の坩堝と化した。まさしくこの瞬間から、東映プログラムピクチャーは本格的な量産体制に入ったわけである。
そうなのだ、遠山の金さんみたいに自分からもろ肌を見せては駄目なのだ。追いつめられて見えるからこそ、唐獅子牡丹が泣いているようにも、怒っているようにも見えるのである。
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