日本侠客伝 雷門の決斗
浅草(エンコ)が俺を呼んだからドスを抱えてきたんだぜ。エース高倉が全身でぶつかる無法!男の世界
1966年 カラー シネマスコープ 94min 東映京都
企画 俊藤浩滋/日下部五朗 監督 マキノ雅弘 脚本 笠原和夫/ 野上竜雄 撮影 山岸長樹
音楽 斎藤一郎 美術 川島泰三 録音 渡部芳丈 照明 北口光三郎 編集 宮本信太郎
出演 高倉健、藤純子、長門裕之、待田京介、水島道太郎、村田英雄、藤山寛美、島田正吾、
ロミ山田、新城みち子、宮城千賀子、天津敏、井上昭文、内田朝雄

8年間に渡り、11本製作された東映任侠路線の人気シリーズで高倉健の人気を決定付けた作品でもある。5作目となる本作は「日本暗黒街」の野上龍雄と「博徒七人」の笠原和夫が共同で脚本を執筆しており、舞台を浅草興行界に移し、華やかな舞台と利権争いに蠢く新興ヤクザ勢力を見事に描き出している。第1作目から一貫しているドラマの骨子―マキノ雅弘監督の考えた美学である「ヤクザ稼業をやっていてもヤクザの生活はするな」は守られている。撮影は第1作目の山岸長樹が再びカメラを取り、浅草六区の興行街の雰囲気と華やかな舞台を見事に映し出している。浅草興行街に建ち並ぶ劇場や芝居小屋の場内といった大掛かりなセットが今回の特長だが、美術を担当した川島泰三によって奥行きのあるリアルな浅草が再現された。本作では、歌を絡めたマキノ監督お得意のシーンが随所に観られ、村田英雄による浪曲がクライマックスで複数台のカメラによって捉えられ、任侠映画の枠を越えたステージシーンを堪能する事ができる。

華やかな浅草六区の興業街。かつて、やくざだったの聖天一家の平松源之助(内田朝雄)は、堅気となって平松興業をおこし、朝日座を中心に芝居を打っていた。ところが以前より対立していた観音一家が人気のある朝日座乗っとり…果ては浅草興行界全てを手中に収めようと画策し、源之助に横槍を入れてきた。そんな時、船乗りとして堅気の生活を始めていた源之助の息子、信太郎(高倉健)が久しぶりに浅草へ戻って来た。その夜、信太郎のために賑やかな酒宴が開かれたが、源之助は一人事務所で自殺をしてしまう。浅草興行界を牛耳ろうとする観音一家が多額の債権を元に源之助から朝日座を奪い取っていたのだった。源之助の蔭の力となっている老侠客中川喜三郎(島田正吾)や娘千沙子(藤純子)らは信太郎に平松興業の二代目を継いでもらいたいと懇願するが、一度は辞退する信太郎だったが観音一家の汚いやり口に平松興業の二代目を継ぐ決意を固める。しかし、観音一家の妨害は次第にエスカレートし、ことごとく興行を中止に追い込む。ヤクザ相手に太刀打ちできない興行師の気持ちを思うと信太郎は、かつて同じ場所で育ち、今では日本一の浪曲師となった梅芳(村田英雄)を大正館に呼ぶことに成功した。しかし、当日観音一家が客席で乱闘を始めたため興行は中止、その上一カ月の営業停止となってしまった。こんな時、かつての客分銀次(長戸裕之)が、観音一家の噂を聞いて旅から戻ってきた。銀次は、喜三郎と共に観音一家に殴り込みをかけ、銀次は警察に捕えられ、喜三郎は親分風間の拳銃に倒れた。それまでじっと耐えていた信太郎の元に浅草の興行師たちは、「大震災復興三周年記念興業」を開く話しを持ってくる。もう、やくざの好きにはさせないと全員が立ち上がったのだ。遂に力づくで妨害しようと大正館に向かう観音一家を信太郎は刀を片手に待ち構えていた。

この手の任侠映画の良さは、各々俳優たちが自分たちの一番の見せ場というのを最高の状態で披露してくれる処だと思う。若者には若者の、悪役には悪役の…そして老齢のベテランにはベテランの役回りがきっちりと用意されているのである。東映の任侠映画とは、ある意味、群像劇である。一人の渡世人だけを描くのではなく、それを助ける仲間がいたり恋人がいたりするわけで、登場人物すべてが絶妙なバランスで構成されていないと非常につまらない映画になってしまう危険性をはらんでいるのだ。特に本シリーズ『日本侠客伝』はやくざ同士の対立ではなく悪いやくざと善良な市民と、その間に割って入る正義の味方(この人物が高倉健であったり、客演ゲストであったりする)という3つのグループで構成されているのだから、脚本家はよほどの才能を持っていないとならないのは理解に容易いだろう。その点、本作の脚本家、笠原和夫と野上竜雄は加減をよく心得ている。観ていて気持ちが良いのだ。特に島田正吾演じる老侠客の中川喜三郎は最高である。無作法に乗り込んで来て傍若無人な振る舞いをする悪徳やくざの下っ端を後ろ手をひねり「すいませんねぇ…これ少ないけど治療費の足しに」とクシャクシャになった札を出して「あっ、足りませんか…まだ金はあったかなぁ」とドスを懐から見せる凄みといったら。うわっ…めちゃくちゃカッコいい!と誰もが思うに違いない。それはまるで『網走番外地』で嵐寛寿郎が演じた鬼寅や『人生劇場飛車角と吉良常』で辰巳柳太郎が演じた吉良常に匹敵するほど魅力のある人物だ。
本作のもうひとつの魅力は壮大なセットで明治、大正、昭和初期の街並を再現する美術でもある。今回は浅草六区の興行街を再現していたが、その奥行き感…セットを建て込みしたスタジオもどうやらバカでかいらしく、かなり奥から人間が走って来ている程だから、東映の力の入れようが理解出来る。マキノ雅弘監督が得意とする歌のシーンも素晴らしく、村田英雄が舞台で歌う浪曲は必見!さすがスターとして君臨して来た人は違う…と納得出来るだろう。大きなセットもそうだが、クライマックスにおける群衆シーンのエキストラにも毎度のことながら驚かされてしまう。ロミ山田が演じる女剣劇のスターが悪徳やくざの親分によって他の劇場に出演するのを邪魔されると、舞台から観客に向かって事情を話すと…何と!数百名はいよう観客がドドドッと出演者たちを守りながら他の劇場まで走り出すのだ。この映像には正直言って驚いた。また、こうした大勢の人々が群衆となってやくざに立ち向かっていく爽快感こそ、マキノ監督が意図するところでもあるのだ。
今回の健さんはギリギリまで耐えに耐える堅気の興行師という役どころ。それだけにラストで爆発する怒りは観客も同じ。卑怯な悪役であればある程、相手を叩き切る一刀に、観ているコチラまで力が入ってしまう。劇場を舞台にした立ち回りは珍しく、障害物が少ない分、派手な動きが要求されたであろうが健さんのアクションと山岸長樹によるカメラワークで今まで観た事がない迫力あるシーンに仕上がっていたと思う。殴り込みに向かう健さんに母の形見であったお守りを繕って掛けてやる藤純子が意地らしく、対照的に義理固く平松親分に忠義を尽くすロミ山田演じる剣劇役者の振りまく色気にドキドキする…さすが女性の描き方が上手いと定評のあるマキノ監督の手腕がここでも発揮されている。
出演者全員に無駄のないキャラクターを配し、全てのシークエンスにも無理のない背景を配す…だから面白い映画が仕上がるのだ。
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