金田一耕助が映画に登場したのは戦後間もない昭和22年。東映の時代劇スター片岡千恵蔵がスーツ姿で片手に拳銃を持ち颯爽と現れたのが金田一シリーズの始まり。横溝正史が初めて金田一耕助を主役とした作品『本陣殺人事件』を発表したのが昭和21年であるから当時としては異例の最速の映画化となったわけである。以前、東映任侠の回でも述べさせてもらったが、敗戦国であった日本では、全てがアメリカ軍によって統治され、その中で時代劇を厳しく規制した。いわゆる武士道を強く打ち出し、斬り合いを見せ場とする暴力的な映画を好ましく思わなかった時代。人々は時代劇に代わる痛快ヒーロー物を求め、映画界も同様に新しいヒーローを模索していた。そんな中、片岡千恵蔵が演じた七つの顔を持つ探偵・多良尾判内は、娯楽の少なかった日本人に活劇の楽しさを思い出させたのだ。やはり、東映は日本人が好む日本のヒーローを作り出すのは、一番上手い。熱気が冷めやらぬまま、すぐに次の手を考える。その目に止まったのが名探偵・金田一耕助だったのだ。片岡千恵蔵は『三本指の男(本陣殺人事件)』で二枚の金田一耕助を熱演。スチールだけを見ると金田一なのか多良尾判内なのかわからないのがご愛嬌だが…。続いて高倉健が同じようなスーツ姿で東映版金田一として登場。こちらも主人公がヒーローという東映カラーを前面に打ち出した作品であった。モノクロ時代の金田一映画は、一連の東映作品の様な多良尾判内風の金田一耕助か、東宝や大映の様な明智小五郎風の猟奇色を前面に出したカルト作品…と、大きく2つに分けられる。特に東宝の『吸血蛾』(池部良の金田一は知的で今までに類を見ないタイプであった)は、『東海道四谷怪談』の巨匠・中川信夫がメガホンを取っただけに猟奇色とエロティシズムに溢れた怪作としてコアなファンに人気を博したが、残念ながら両者共に原作の金田一耕助とかけ離れたイメージは最後まで払拭できなかった。結局、昭和36年に製作された高倉健主演『悪魔の手毬唄』を最後に、しばらく金田一耕助がスクリーンを飾ることはなくなる。既にアメリカによる占領が終結し、時代劇が自由に作られるようになり東映が本来のお家芸に戻った事が大きな理由だ。
昭和40年代に入って金田一耕助が久しぶりに復活したのはATG作品の『本陣殺人事件』。驚くことにモノクロ時代の金田一耕助とは異なり、中尾彬が演じた金田一は、ヒーローどころかヒッピーそのもの。捉えどころのない風貌に、「さすがATG…ヒーローすら、アバンギャルドに崩してしまうか!」と昔を知る人は思ったに違いない。しかし、それは大きな間違い…むしろ本作の金田一耕助の方が原作に近いのだ。時代設定を現代に置き換えながらも地方に残る日本独特の風土を如実に描いき出した監督は横溝文学に漂うドロドロとした雰囲気を見事に映像化していた。カラーになってからの金田一耕助の復活は、角川映画の隆盛そのものと言っても良いであろう。角川書店が映画業界に参入し、文庫本のフェアと映画のタイアップに成功。ビジネスとしての映画を確立させたのである。続く東宝の『犬神家の一族』を皮切りに松竹の放つ『八つ墓村』で頂点に達し、その勢いを保ちつつ東宝は『悪魔の手毬唄』『獄門島』『女王蜂』を毎年製作を行い、最後の『病院坂の首縊りの家』に至るまで5本のシリーズを全てヒットさせる快進撃を果たした。また、少し出遅れながらもモノクロ時代の本家・東映も『悪魔が来たりて笛を吹く』を製作。西田敏行を金田一に抜擢する意外性と話題性で大ヒットとなる。ここまでくれば、もう打ち止めかと思いきや…今までの娯楽性が高かった作品とは異なる作家性の高い『悪霊島』を名匠・篠田正浩が発表。主題歌にザ・ビートルズの“レット・イット・ビー”を使用し、世界でも類を見ない破格の使用料を支払った。本作からしばらく映画の金田一シリーズはテレビドラマに移行。再びスクリーンに登場するまで様々な俳優が金田一耕助を演じてきた。中でも古谷一行は、石坂浩二に次ぐほど市民権を得るも、残念ながら映画では金田一シリーズのパロディ…007の番外編“カジノロワイヤル”のような映画『金田一耕助の冒険』(大林宣彦監督)に止まり正統派の姿を劇場で観れなかったのが心残りでならない。やはり、金田一は市川監督じゃないと始まらないと満を持して製作された東宝版『八つ墓村』は原作の原点に立ち返るも肝心の金田一が豊川悦司だった事で往年のファンからそっぽを向かれるという結果に陥る。やはり、金田一耕助は石坂浩二なのだ!…と、再度市川監督がセルフリメイクした『犬神家の一族』でコンビを組む。殆どのセリフやカット割りがオリジナルをトレースしたかのような仕上がりに評価は割れるも、久しぶりの石坂金田一の登場に胸を熱くしたファンは数多い。同時に、本作が市川監督の遺作となったのは感慨深いものがある。
様々な金田一耕助がスクリーンに登場してきたが、単なる殺人事件を解決するだけの探偵ものと違い、それぞれの時代に根強いファンが存在するのは本シリーズに描かれている人間ドラマが奥深いからに他ならない。次に金田一耕助がスクリーン上に現れる時、どんな金田一耕助が登場するのか楽しみである。
「見たところ二十五、六、中肉中背―というよりはいくらか小柄な青年で、飛白の対の羽織と着物、それに縞の細い袴をはいているが、羽織も着物もしわだらけだし、袴は襞もわからぬほどたるんでいるし、紺足袋は爪が出そうになっているし、下駄はちびているし、帽子は形がくずれているし…つまり、その青年としては、おそろしく風采を構わぬ人物なのである。」これは横溝正史が小説“本陣殺人事件”の中で金田一耕助が初めて登場する下りで書かれた描写だ。横溝正史の原作を読まずに映画から金田一耕助を知った人は多いと思うが、オリジナル…というか横溝正史が頭の中で形作られていた金田一耕助とは、一体どのような人物だったのだろうか?金田一耕助の生い立ちは原作に明記されているのは大正2年、東北生まれという事だけである。『悪魔が来たりて笛を吹く』のパンフレットには、早稲田大学ミステリクラブが分析した金田一の生年月日(彼の性格から星座を割り出し、追跡してゆくなど興味深い)が掲載されている。それによれば「論理力と強い好奇心」「人なつっこく茶目っ気がある。風采は気にしない面がある一方、神経質な面もある」という性格は“双子座”そのもので、「暖かい性格と豊かな想像力」を兼ね備えているところから“蟹座”に近いと推察。更に、占星術を照らし合わせて考えると…大正2年6月13日という結論に至っている。出身地は、金田一京助と同郷の岩手県(『本陣殺人事件』で同姓のアイヌ学者と同じ地方の出身と記されている)となっており、盛岡中学に進学後、生涯の友となる風間俊六(映画では登場する事はないが建設業で成功した彼は広い情報網で何度も金田一を助けている)と出会う。金田一の住まいは探偵業を始めてから4回、替えている。最初は京橋にあるビルの5階を事務所としていたが、昭和22年に大森にある割烹旅館“松月”に居候をしている。(ちなみに、ここを紹介したのは親友・風間俊六である)昭和25年に銀座のビルに事務所を構える。そして、昭和29年から失踪する昭和48年までを世田谷にある“緑ヶ丘荘”で暮らすのだった。住まいと言えば『悪魔が来たりて笛を吹く』で映画としては初めて金田一の部屋が登場する。ホコリまみれの本が山積みされた雑然とした様子で、いかにも…という感じの下宿だったが、イメージとしては“松月”か“緑ヶ丘荘”が近い。ただ、映画での主・梅宮辰男の本業は闇市のボスだが…。
食事については映画と原作では異なっている。ちなみに市川監督版『犬神家の一族』『八つ墓村』の金田一は、旅館に泊まるとき鞄から米を取り出して「配給券はないけどこれで頼むよ」と女中さんに言う。美味しそうに芋の煮っ転がしを頬張ったり、『病院坂の首縊りの家』で玉子丼を食べるシーンがある等、庶民的な食事を好むイメージがある。中でも甘い物には目がないらしく、『犬神家の一族』で通夜の晩に「何か甘いものありますか?甘い物が食べたくなったんですが…」とお願いして、神官の大滝秀治に思いっ切り嫌な顔をされる。しかし、原作ではアメリカ帰りである事を特徴づけるように、朝食はトーストと卵、牛乳…洋食派である。また一番、映画と異なるのは、原作の金田一は、かなりのヘビースモーカーであること。映画で煙草を吸うシーンは『本陣殺人事件』ぐらいなもの。あとは、酒・煙草のイメージは一切排除しているのが映画的で面白い。原作で語られている金田一の渡米生活…彼の運命を大きく左右する事となった。一度、麻薬に溺れて廃人になりかけた事がある金田一に救いの手を差し伸べたのが、久保銀造その人である。金田一は1932年に渡米、アメリカを放浪中、麻薬に手を出し溺れてしまう。しかし、サンフランシスコで起きた日本人殺人事件を見事な推理力で解決した事から、久保銀造(『本陣殺人事件』で彼の姪が惨殺され金田一に助けを依頼する)の目に留まる。麻薬を断ち切った金田一は大学に通い数年後、神戸に戻る。金田一が映画の中で自分生い立ちを語るシーンは『病院坂の首縊りの家』ただ一つ…草刈正雄演じる黙太郎に自分の生い立ちを語る姿が味わい深い。「今頃はもう僕の生まれた所はすっかり雪でしょうね…。家は貧しかった。アメリカへ渡って皿洗いをやっていた事もあるんです。…小さい時に両親と別れたんです。今回の犯人も僕たちと似た境遇の人間のような気がするんです」金田一耕助が犯人に対して優しく同情的な背景には彼の生きてきた道のりが大きく関わっている事はここからも推察出来る。