市川崑監督の金田一シリーズに欠かせない名脇役。「よ〜し!わかった!」という威勢の良い名台詞と共に自信たっぷりに、的外れの推理をぶちかます愛すべきキャラクター…橘警察署長だったり等々力警部だったり…作品によって異なる警察関係者(『獄門島』以降は等々力警部で統一される)を演じた加藤武。オールバックのヘアスタイルにラテン系の口髭、そしていつも着ている黒のスーツ…。毎回、金田一を紹介されると「あれ?どこかで会ったような…」という怪訝な表情をしてからバカにしたように鼻で「フン!」と笑う。おどろおどろしい横溝正史のミステリーでコメディリリーフを一手に引き受けている加藤武は、ある意味、石坂浩二以上に金田一シリーズには、なくてはならない存在かも知れない。と、言うのも市川監督版の本シリーズで、唯一、石坂浩二が金田一を演じなかった『八つ墓村』においても、お馴染みの出で立ちで等々力警部として登場。いやそれどころか、市川監督が『病院坂の首縊りの家』終了直後に製作した浅見光彦の探偵もの『天河伝説殺人事件』でも、刑事役で出演するなど、シリーズ全体のハブとなっているのだ。久しぶりに復活した『八つ墓村』では、スタッフ、キャスト一堂が一番楽しみにしていたのが、シーン46・濃茶の尼の庵の場面…まさに「よ〜し、わかった!」が初登場するシーンだ。当初、この決めゼリフは『犬神家の一族』の脚本には存在しなかったという。撮影中に加藤武が大袈裟に演じたところ市川監督が「これは面白い!繰り返してやろう」と現場で決定。このセリフをオーバーに言うために役の性格も単純な男に変更。まさか、加藤武が発した一言がシリーズを通じてキャラクターのイメージまで変えてしまう事になろうとは本人も予想し得ない出来事だった。市川監督から、どういうキャラクターにして欲しい…という要望は一切出さず、役者から引き出しながら構築するスタイルを確立しており、加藤武曰わく「二人であうんの呼吸で出来上がった」わけである。『女王蜂』では化粧品会社とタイアップした「口紅にミステリー」というセリフに観客を湧かせた。
左手を握った右手でポンと叩き、叩いた右手を高くかざしながら「よ〜し、わかった!」が出てくるとドロドロしたドラマの中でホッとさせられる…言わば箸休めみたいな存在。あまりにムチャクチャな推理に部下の刑事たちすら「へっ?」と、唖然としてしまう。『女王蜂』では、勝手に犯行現場に金田一を通してしまった判淳三郎演じる警官を頭から怒鳴りつけるシーンが印象的だが、のべつまくなしイライラして怒鳴っている彼には胃薬は欠かせないアイテム。時には、口に含んだ粉クスリを豪快に撒き散らしながら怒鳴る姿も忘れられない。ちなみに、この粉クスリは、撮影用に“龍角散”と“クリープ”を混ぜ合わせたもの。この調合が難しいらしく加藤武自ら美術スタッフに細かく注文していたという。リメイク版『犬神家の一族』のパンフレットには8:2の配合が最適な吹き出し方が出来ると記載されている。部下にしてみると大変口うるさい上司だが、実は誰よりも情の厚い一面を持ち合わせている。特に、その性格が顕著に表れたのは『病院坂の首縊りの家』で演じた等々力警部だ。佐久間良子扮する犯人が犯行を起こすきっかけとなったある写真の乾板(その中には彼女の女として明るみに出せない姿が収められている重要な証拠品なのだが)を金田一が犯人の心情を察し、破壊するために持ち出したのをあえて見て見ぬ振りを決め込む。また、『犬神家の一族』のラストでは、いがみ合っていた金田一を見送りに行こうと、大事な消防署長との打ち合わせを待たせる事までしている。『獄門島』のエンディングでは帰りの船の中、船酔いしながらも「よ〜し、わかった!みんなワシが間違ごうとった!」と素直に認めるシーンもあったりする。「僕の役は観客に優越感を持たせる役で、自信を持って見当違いの事を言うと、お客さんは笑って僕の事を見下すわけです。でも、それはとっても大事な事なんだよね。その役目を市川監督は全て僕にやらせたんですよ」と語る(金田一耕助DVDボックスに収録)。最後に「私の演じた警部を愛してくれるファンの方がいるというのは、役者冥利に尽きる事です」と語っていたのが印象に残った。
ちなみに横溝正史の作品の中で、加藤武が演じた等々力警部が出演する作品は50本ほど存在するが、等々力警部が主人公として活躍するスピンオフ作品がある。“びっくり箱殺人事件”というタイトルで演劇の舞台で起きた殺人事件を解決する等々力警部の姿を軽妙なコメディタッチで描いている。願わくば、角川映画全盛期に映画化をしてもらいたかった。…勿論、主役は加藤武で。
加藤武(かとう たけし)TAKESHI KATO
東京都京橋区築地小田原町生まれ 1929年5月24日〜
中央区立泰明小学校、旧制麻布中学校卒業(小沢昭一とフランキー堺は麻布中学校の同級生だった)。1945年に海軍兵学校第78期生として入校、終戦により退校。幼少期より歌舞伎を愛好し、俳優に憧れていた。早稲田大学では演劇研究会に入り、ここで今村昌平、北村和夫らとめぐり合う。大学卒業後、一時教職に就くも俳優への道を諦めきれず、辞職して先に北村が入団していた文学座に入る。この頃に演芸評論家・作家である正岡容に出会い、歌舞伎や芸のいろはを学ぶ。杉村春子に芸をたたき込まれたともいう。当時には現人間国宝の桂米朝や役者・俳人の小沢昭一、作家の都筑道夫等も門下としていた。
映画界には1955年、川島雄三監督の『愛のお荷物』のナレーションとして参加したことから始まり、以降川島作品の常連となる。また黒澤明監督作品の常連でもあり、1957年の『蜘蛛巣城』都築警護の武士役が初出演。その後も『隠し砦の三悪人』の冒頭部分で壮絶な死にざまを見せた落武者、1960年の『悪い奴ほどよく眠る』では、三船敏郎の相棒・板倉役で出演するなど、評価を高めた。以降、『仁義なき戦い』シリーズでのミニ山守とも言うべき姑息で優柔不断な親分・打本昇役や、市川崑監督の『金田一耕助』シリーズの等々力警部役(『犬神家の一族』など一部の作品では役名が異なるが、「すぐ早とちりする偉い警官」というキャラクター性は全く同じ)など印象的なバイプレイヤーとして活躍。近年は映画『釣りバカ日誌』で主人公・浜崎伝助の務める鈴木建設の秋山専務役、『日本沈没』では総理大臣(石坂浩二)と久しぶりの共演を果たした後、市川崑監督のセルフリメイク『犬神家の一族』で再度、同じ役に挑む事となる。
現在も文学座のベテラン俳優として舞台で活躍するほか、海外ドラマ、アニメの声の出演作も多数ある。等々力警部の「よしっ!分かった!」という手をポンと叩きながら発するフレーズは特に強い印象を与えており、バラエティ番組『ウッチャンナンチャンのやるならやらねば』(フジテレビ系)の1コーナー「クイズよしっ分かった!」のモデルとなり、レギュラー出演もしていた。エッセイなどもこなす器用な人物だが、自分の半生や戦前の下町の様子などを語る場合には、枕言葉で生まれた「小田原町」が必ずでてくる。現在では存在しない地名のため小田原市と混同されるが、築地明石町や小田原町は電信や郵便といった明治の文明開化が上陸した最初の地であるため、江戸人は強いプライドを持っていたらしい。近年では、徳川夢声以来となる吉川英治の『宮本武蔵』の朗読に取組み、好評を得る。(Wikipediaより一部抜粋)
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