武士の家計簿
刀ではなく、そろばんで、家族を守った侍がいた。
2010年 カラー ビスタサイズ 129min 「武士の家計簿」製作委員会
エグゼクティブプロデューサー 原正人 監督 森田芳光 脚本 柏田道夫 撮影 沖村志宏
美術 近藤成之 照明 渡辺三雄 音楽 大島ミチル 編集 川島章正 録音 橋本文雄 原作 磯田道史
出演 堺雅人、仲間由紀恵、松坂慶子、西村雅彦、草笛光子、中村雅俊、伊藤祐輝、藤井美菜
嶋田久作、宮川一郎太、ヨシダ朝、佐藤恒治、山中崇、茂山千五郎、小木茂光、桂木ゆき、小林トシ江
(C)2010「武士の家計簿」製作委員会
古書店で偶然発見された家計簿、それは国史研究の通念を覆す大発見となった。日々の買い物、親戚付き合い、子供の養育費、冠婚葬祭など家計簿から鮮やかによみがえる、幕末に生きた下級武士一家の暮らしぶり。この家計簿をつけた武士、猪山直之が本作の主人公である。代々加賀藩の御算用者として仕えた猪山家の跡取り息子として、家業のそろばんの腕を磨き、才能を買われて出世する。しかし、当時の武家の慣習によって出世する度に出費が増え続け、ついには家計が窮地にあることを知った直之は、ある“家計立て直し計画”を宣言する。本作は、激動の時代を世間体や時流に惑わされることなく、つつましくも堅実に生きた猪山家三世代にわたる親子の絆と家族愛を描いた物語である。原作は、武士の家計簿「金沢藩士猪山家文書」から幕末の武士の生活を生き生きと読み解いた磯田道史著『武士の家計簿「加賀藩御算用者」の幕末維新』(新潮新書刊)。監督は常に時代を様々な角度から切り取り、家族の在り方を描いてきた森田芳光。そして見栄や建前を捨て実直に生きる主人公・猪山直之に『南極料理人』『ゴールデンスランバー』など幅広い役柄で次々と新たな顔を見せる演技派、堺雅人。直之を支える献身的な賢妻・お駒に“TRICK”シリーズや“ごくせん”で人気女優の地位を不動のものとした実力派、仲間由紀恵。そして、松坂慶子、中村雅俊、草笛光子、西村雅彦ら、豪華キャストが勢ぞろいした。本当の豊かさを教えてくれる暖かな感動作となった。
※物語の結末にふれている部分がございますので予めご了承下さい。
江戸時代後半。御算用者として、代々加賀藩の財政に携わってきた猪山家。八代目の直之(堺雅人)は、これといった野心も持たず、与えられた職務を全うするべく、ただひたすらそろばんを弾き、数字の帳尻を合わせる毎日。その姿は、周囲の者が“そろばんバカ”と呼ぶほどだった。そんな直之にある日、町同心・西永与三八(西村雅彦)を父に、商家の娘を母にもつお駒(仲間由紀恵)との縁談がもちこまれる。ある日、御蔵米の勘定役に任命された直之は、飢饉で苦しむ農民たちへのお救い米の量と、定められていた供出量との数字が合わないことを不審に思い、独自に調べはじめ、城の役人たちが、私腹を肥やしていることを突き止め、異例の昇進を言い渡される。直之の昇進と共に身分が高くなるにつれ出費が増える、という武家社会特有の構造からますます出費のかさむ猪山家。直之は“家計立て直し計画”を宣言。家財一式を処分、質素倹約をして膨大な借金の返済に充てるという苦渋の決断だった。こうして、猪山家の家計簿が直之の手で細かくつけられることになった。厳しい暮らしの中でお駒は、直之の一番の理解者として、献身的に家を切り盛りするのだった。
武士と家計簿…一見すると一番遠い存在のような気がする二つの単語。磯田道史が書いた原作は実在する加賀藩士の御算用者であった猪山直之がつけていた36年分にも及ぶ家計簿が神保町の古本屋で発見された事から誕生した。最近の時代劇では武士(侍)=ヒーローという図式よりも武士は公務員(藩士は地方公務員、江戸のお城勤めは国家公務員か?)という位置付けしたものが多くなっている。だから剣術に長けている者がいれば、算術に人生を費やした者がいても何の不思議もないのだが。ただ小学校で習った“士農工商”という身分制度がいかに上っ面だけしかすくっていなかったのかよく分かる。加賀藩の財政を預かる重要なポストにいながら、家計が火の車だったという設定は実に面白く、森田芳光監督が描く中流武士の生活は『家族ゲーム』を連想させられる。実際、主人公が生きた時代は黒船来航により尊皇攘夷の嵐が吹きまくっていた激動の時代なのに、全くそんな事を感じさせない平和なムードで物語が進展していく時勢との温度差が面白い。
冒頭間もなく主人公の職場である御算用場のシーンが登場する。ずらっと並んだ三十以上もある机に袴姿の侍たちが一斉にそろばんを弾く。カチャカチャと小気味良い音が響く…そう言えば『必殺!3 裏か表か』でも同じシーンが登場したが、天下を動かすのは金の流れとしていた後者は殺気立っており、同じ金の流れを確認するにも関わらず本作の方はほのぼのとしているのが興味深い。時代劇だが人が斬られない映画だからだろうか?森田監督の描く世界は現代劇でも通用する話だが、家計簿をちょんまげを結った武士が付けているところに可笑しさがあるのだ。前作、完全リメイクの『椿三十郎』ではスピード感を多様なカット割によって実現していたが、本作は極端にカメラは動かない。それは多分、体全体で動く殺陣に対して本作の主人公のアクションはそろばんを弾く指先であるからだろう。劇中、堺雅人演じる直之に対して妻を演じた仲間由紀恵が「そろばんの音が好きです」と言うシーンがある。森田監督は、この指先と音を大切にしたかったのではなかろうか?
武士が付けた家計簿が主題となっているが本作は夫婦のドラマであり、家族のドラマである。学術的見地を基に書かれた原作から猪山家全体の人物像を創造した柏田道夫の脚本は素晴らしい。何故、猪山家が借金が膨らんだ理由─それを納得させるだけのキャラクターの造形が見事だ。まず中村雅俊と松坂慶子が演じる七代目当主・信之とその妻・お常の対面を気にする見栄っ張りといった設定が良い。借金返済のために着なくなった着物を売ろうとする息子・直之に対して「我が子は鬼か」とすがる松坂の演技が何とも愛おしく感じる。また、武道一筋の家庭で育ったお駒が夫・直之を信頼して家族の窮地ですら夫を信じて楽しむ余裕を見せる。余計な家財を処分しようとする夫に「面白いです。貧乏と思えば暗くなりますが、工夫と思えば…」と言うシーンが印象に残る。人間の“喜怒哀楽”を丁寧に描けば物語は豊かになるという持論を持つ森田監督。適材適所にこれ以上は考えられない俳優を配し(コの字型に囲む家族団欒の食事風景における画面構成は完璧だ)、時代劇ホームドラマという傑作を作り上げたのだ。思えば、彼らが生きていた時代は今からたった百年ちょっと…明治生まれの人から見れば、つい数年前の話しである。
「わが猪山家の命は刀ではない。こちらだ」とそろばんを指す主人公の父・信之。時代は違っても生き方というのは人それぞれなのだ。